2015年8月25日

【広島・長崎派遣中学生リレー講座】我孫子第一小 平和の木

 
リレー講座の様子(我孫子第一小)
我孫子市の今年度平和事業のひとつとして、これまでに広島や長崎に派遣され、現在は社会人・高校生・大学生となったかつての派遣中学生たちが、市内の小学校を訪問し、広島・長崎への派遣体験を通して感じたことを伝え、原爆や戦争について意見を出しあい、小学生と一緒に平和について考えるリレー講座を実施しています。


葉っぱのメッセージを「平和の木」に貼り付ける
リレー講座メンバー
第一回リレー講座は、6月20日()に我孫子第一小学校で実施しました。
リレー講座を受講した6年生に葉っぱの形の紙に平和へのメッセージを書いてもらい、リレー講座講師グループで大きな「平和の木」に貼り付け、7月13日()に第一小学校に届けました。この「平和の木」は、今、子どもたちが見ることができるように、第一小学校内下駄箱付近に掲示してもらっています。
今年1年間、この木が市内の小学校でたくさん育ちますように。 

 
完成した平和の木
◎リレー講座講師からのメッセージ◎ 

◆ 今年で戦後70周年を迎え、戦争を経験し、伝える方が少なくなっている中、派遣中学生として長崎で学んだことを後輩に伝えることができて、よかったと思います。授業中、児童はみな真剣な眼差しを私に向けてくれていて、「幸せって?」「平和って?」について、考える姿はとても印象に残っています。平和について考えること、平和について伝えることが、未来に繋がると考えていますので、『第1回リレー講座』だけに留まらず、私なりにできることを、これからもやっていきたいと思います。(和香菜) 

葉っぱに書かれたメッセージ
◆ 今回は小学生の前で授業をするというとても貴重な経験をさせていただきました。最初はうまくいくか不安でしたが、何度も練習を重ねて準備を整えてきました。「人に教える」とはどうすればいいのかわからなかったですが、平和について思いを伝えたいとだけ考えて授業をしました。私の思いの一部だけでも伝わったならうれしいです。そして、ぜひ周囲の人へ、一人一人の平和への思いを伝えていってくれたらと思います。(大屋貴義)

2015年8月18日

我孫子市 被爆70周年平和祈念式典が開催されました


「市民の皆さんとともに核兵器の廃絶と平和の
大切さを次の世代に繋いでいく取り組みを
進めていきたい」と語る星野市長
815日、【被爆70周年平和祈念式典】が、我孫子市原爆被爆者の会と我孫子市の主催により、手賀沼公園平和の記念碑前で開催されました。
160名が集まった式典では、黙祷、広島平和記念式典に参加した中学生による報告、我孫子市平和都市宣言の読み上げに続いて、派遣中学生が広島平和記念公園から採火、持ち帰った「平和の灯」を、手賀沼公園平和の記念碑横に新設したガス灯に灯す点火式が行われました。


広島派遣を報告する市内中学生24

手賀沼公園に灯された「平和の灯」は、核兵器が廃絶されるまで常時点灯され、核兵器のない平和な世界への我孫子市民の強い願いをあらわす新しいシンボルとなります。



「平和の灯」の点火
式典の模様は報道各社によっても紹介されています。是非ご覧ください。





手賀沼公園マップ(クリックで拡大表示)

  ■平和祈念式典の報道

【絵本の紹介】 いわたくんちのおばあちゃん


85日から7日まで広島を訪れた我孫子市内中学生24名は、6日の平和記念式典参列後、本川小学校に行きました。
本川小学校は爆心地から410メートル。爆心地から一番近い学校です。この小学校も被爆でたいへん大きな被害を受けましたが、被爆当時の校舎の一部が今でも保存されており平和資料館となっています。
 


 
岩田さんと息子さん。右奥に見えている
のが被爆当時のまま保存されている校舎
この資料館を案内してくださったのが、ボランティアガイドの岩田さんとその息子さん。
息子さん(いわたくん)は本川小学校の卒業生。岩田さん(お母様)は息子さんがこの学校の生徒だった時のPTA活動を通じて、本川小学校平和資料館のガイドを始めたそうです。

息子さん(いわたくん)のおばあちゃん(ちづこさん)は、原爆で家族(両親と妹3人)を亡くされています。このちづこさんのことが2006年に「いわたくんちのおばあちゃん」という絵本になりました。

19458月の初め、広島にも空襲が迫っているのではないかと家族全員で田舎に疎開することを決め、自宅に写真館の人を呼んで家族写真を撮ってもらったその何日か後に原爆が投下されました。
戦争が終わって何ヵ月か経ってから、ちづこさんを見つけた写真館の人が、ちづこさんに渡してくれたのだそうです。家族6人みんなで撮った写真、その写真を見ることができたのは、ちづこさん一人だけでした。

 -----------------------------------------
 書 名 いわたくんちのおばあちゃん
 著 者 天野夏美()、はまのゆか()
 出版社 主婦の友社
 -----------------------------------------

「いわたくんちのおばあちゃん」は、我孫子市民図書館に蔵書があり、我孫子市視聴覚ライブラリーにDVDもあります。
是非、手にとってみてください。


(我孫子市平和事業推進市民会議 恒)

2015年8月11日

市内中学生24名が広島平和記念式典に参列


広島原爆ドーム前で
我孫子市内の中学生24名が85日から7日の日程で広島へ。8月6日に広島平和記念公園において開催された平和記念式典に、星野我孫子市長、倉部教育長らとともに、参列しました。

派遣中学生24名は、過去最多の100か国代表を含む約55000人と発表された参列者の中にあって、広島市長の平和宣言、こども代表の平和への誓い、安倍総首相あいさつに真剣に耳を傾けていました。


原爆の子の像の前で
 
中学生たちは、平和記念式典参列のほか、「ヒロシマ青少年平和の集い」で全国各地の中高生たちと平和について意見交換し、平和記念公園、平和記念資料館、本川小学校などを見学、自分の目と耳で70年前の被爆の重い事実を受け止め、平和について考えました。
 

一自治体から中学生24名の派遣は、あざやかなオレンジ色の揃いの帽子のためもあって人目をひき、報道からのインタビューを受ける場面も何度かありました。
 
 
「平和の灯」の分火式
 
最終日7日には、平和記念公園内の「平和の灯」の分火を受けました。分火された「平和の灯」は、8月15日に手賀沼公園「平和の記念碑」前で開催する平和祈念式典において、記念碑横に新設されるガス灯モニュメントに点火され、核兵器が地球上から絶えるまで常時点灯されることとなります。

中学生たちによる派遣報告会は、126()に、けやきプラザふれあいホールで開催される予定となっています。

 
■原爆死没者慰霊碑前に並ぶ我孫子市派遣中学生

■「平和の灯」分火式(動画:インタビューあり)

■原爆ドーム前で佐々木祐滋さん(原爆の子の像のモデルとなった佐々木禎子さんの甥)と会って

■我孫子市役所Facebook
 ・70回目の『原爆の日』】

2015年8月10日

広報あびこ8月1日号に平和事業特集記事

https://www.city.abiko.chiba.jp/shisei/kouhou/abiko/backnumber/h27backnumber/abiko0801.files/150801_1S.pdf
広報あびこ 201581日号
(クリックで拡大表示)


広報あびこの81日号1面に、「戦後70年・我孫子市平和都市宣言30年記念平和事業」の特集記事が掲載されています!

現時点で日程等詳細が決定している本年度平和事業が紹介されています。是非ご覧ください。

2015年8月3日

【我孫子市平和事業】広島・長崎への中学生派遣

我孫子市では毎年8月に、広島市平和記念式典または長崎市平和祈念式典に、市内の中学生を代表団として派遣しています。
この事業は戦後60周年の平和記念事業の一環として10年前の2005年に始まり、現在では我孫子市の平和事業の根幹をなす事業になっています。 

当初は市内中学生6名(各中学校から1名ずつ)を広島に派遣するものでしたが、平和事業推進市民会議からの提言もあり、2009年からは3年ごとに長崎にも派遣することとなり、一昨年からは人数も12人に倍増されました。昨年までに派遣された中学生は延べ72名になっています。
派遣中学生は式典に出席する他、市民の皆さんが心を込めて折った平和祈念の折り鶴を 現地に持参して奉納します。また、原爆に関する資料館を見学したり、原爆体験者の方々の貴重なお話を伺うなどして学んだ平和の尊さを、市民の皆さんへの報告会で発表します。 

これまでに広島・長崎に派遣されたかつての中学生の中には、社会人や大学生・高校生となって我孫子市平和事業推進市民会議に参画して、平和事業の立案や広島・長崎に派遣される後輩たちの支援する立場になっている人もおり、この事業でまかれた種が確実に育っていることを感じます。 

今年も、8月5日から7日の日程で、広島に中学生が派遣されます。今年は、戦後70年、我孫子市が平和都市を宣言して30年、市制45周年という節目の年であることから、派遣人数を拡大、24名の市内中学生が広島に行きます。中学生たちは、平和記念式典参列、平和記念資料館等を見学し、同じ目的をもって集まった同年代との平和交流などを体験して来ます。特に今年は、広島市平和記念公園内の「平和の灯」から分火を受け、我孫子に持ち帰ってきます。持ち帰った「平和の灯」は、手賀沼公園内「平和の記念碑」横で常時点灯されることとなっています。 

7月24日()に、派遣中学生が市役所に集合して初顔合わせ、星野我孫子市長、副市長、教育長と平和に関する意見交換を行いました。星野市長からは、広島で自分の目で見て自分の耳で聞き、自分自身の意見を持って、我孫子に帰ってから多くの人たちに伝えてほしいとの言葉をいただきました。 

意見交換の後には、広島派遣に向けた、中学生たちの事前学習会も行われました。
学習会の中では、我孫子市原爆被爆者の会の方々から被爆体験のお話を伺うことができ、中学生たちは熱心に耳を傾けていました。 

今年広島に派遣される中学生たちによる派遣報告会は12月6日()にけやきプラザふれあいホールで開催されます。派遣報告会に、ご期待ください。 

-------
派遣中学生の初顔合わせの模様は、以下でも紹介されています。是非、ご覧ください。

 ・まちの話題(我孫子あれこれ)

2015年7月30日

【ご案内】 被爆70周年我孫子市平和祈念式典・映画『アオギリにたくして』上映会

平和祈念式典案内(表)
本年も、以下の通り「被爆70周年 平和祈念式典」を開催します。

 ■日 時:平成27815() 9301130
 ■場 所:手賀沼公園内「平和の記念碑」前(雨天実施)
 ■内 容:黙とう、献花、「平和の灯」点火式 等

式典後には、広島平和記念公園の被爆アオギリの木の下でたくさんの子どもたちに被爆体験を語り継いだひとりの女性の物語「映画 アオギリにたくして」の上映会を開催します。

 ■上映会日時:平成27815() 1130
 ■場   所:アビスタホール
 

平和祈念式典案内(裏)
---------------

◆「平和の灯」について
我孫子市は、広島市平和記念公園内の「平和の灯」から分火を受け、手賀沼公園内「平和の記念碑」横で常時点灯することとしました。
広島の「平和の灯」は、「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」と1964年、記念公園内原爆死没者慰霊碑の近くに設置され、現在も燃え続けています。
我孫子市での「平和の灯」の分火は、千葉県内では初めてのことであり、これまで国内外16ヶ所に分火されています。 


◆「被爆アオギリ」について
手賀沼公園内に、広島市から譲り受けた「被爆アオギリⅡ世」が、同じく長崎市から譲り受けた「被爆クスノキⅡ世」とともに植えられています。 
クリックで拡大表示

◆映画『アオギリにたくして』
   予告編動画などが観られます。

『アオギリにたくして』原作

   -【本】-----------------------------------
    書 名            アオギリにたくして
    著 者            中村柊斗
    出版社            徳間書店(徳間文庫)
   ------------------------------------------

2015年7月29日

我孫子市原爆被爆者の会

平和の祈り折り鶴展で市職員と
皆さんは我孫子市に原爆被爆者の会があるのをご存知でしょうか。
「我孫子市原爆被爆者の会」は昭和54年(1979年)、我孫子市在住の広島・長崎で被爆した方々、約160名で発足しました。
設立の目的は、「会員の福利厚生 健康向上に協力し合い、併せて再び原爆の惨事が繰り返されないように世界平和のため寄与する」というもので、会員の方々はこれまで数多くの平和活動をなさっています。 

昭和60年、当時の会長が広島市に懇願し、被爆した旧市庁舎の敷石と側壁を譲り受け、市役所が手賀沼公園に記念碑を作りました。これが「平和の記念碑」です。
毎年8月にはこの碑の前で一般市民の方にも参加して頂き、平和祈念式典が開催されています。(今年は8月15日(土)9時30分から開催されます) 

小学生向け被爆体験講話の様子 (戦後60年)
他にも毎年「原爆写真と平和祈念の折り鶴展」を アビスタで開催したり、我孫子市平和事業推進市民会議にも参画したりと、積極的に活動をなさっています。
さらに、会員の方々が市内の小中学校で、被爆者としての体験談をもとに、戦争の悲惨さと平和の尊さを子供たちに伝えるという語り部活動もしてこられました。 

戦後70年を迎えて皆さんご高齢となり、会員数は31名になったそうですが、会員の方々は今でも「原爆の悲惨さの記憶を風化させないために、若い世代に伝えていく活動を可能な限り続ける」という強い決意のもと、活動を続けていらっしゃいます。
心から声援を送りたいと思います。 

(我孫子市平和事業推進市民会議・M男)

『彩雲のかなたへ』著者 田中三也さんインタビュー

田中三也さん
『彩雲のかなたへ 海軍偵察隊戦記』の著者で、我孫子市内にお住まいの田中三也さんに戦時中の偵察隊体験、そして平和への思いを伺いました。
田中さんは、戦時中のご体験を細かなところまでよく記憶しておられ、現在91歳とは思えない淀みなく、そしてとどまるところを知らない口舌でお話し下さいました。
田中さんには、いろいろな方が、その貴重なお話を伺いに来られるようで、特に戦後70年にあたる今年は、マスコミ等からも取材を受けておられるとのことです。
このたび機会をいただいて田中さんからお伺いさせていただいた内容をインタビュー記録としてまとめましたので、是非ご一読いただきたいと思います。 

 

-【本】----------------------
書 名 彩雲のかなたへ
  – 海軍偵察隊戦記
著 者 田中三也
出版社 光人社
----------------------------

【本の紹介】 原爆供養塔

-【本】--------------------
 書 名       原爆供養塔
 著 者       堀川 惠子
 出版社       文藝春秋
---------------------------- 

広島市の平和記念公園、三角形に尖った中洲の北端、T字型という珍しい形であることから米軍機の原爆投下目標点となったといわれる相生橋。その相生橋から近いところに原爆供養塔があります。この供養塔には、被爆者七万人の遺骨が眠っています。被爆前までこの地にあった浄土宗・慈仙寺の前に、被爆直後より市内から多くの遺骨が運び込まれ、1955年に現在の原爆供養塔が築かれました。

供養塔ができて後40年余にわたって、供養塔に日参し、供養塔周辺を掃き清め、平和記念公園を訪れる人に語り部として広島の原爆を語り継いできた佐伯敏子さんという方がいらっしゃいます。2015年、今年で96歳になるそうです。

「原爆供養塔」を今年5月に出版した著者堀川惠子さんは、元広島テレビ放送の報道記者。佐伯敏子さんに出会った堀川さんが書いたこの本は、親族13人を原爆で亡くした佐伯敏子さんが、原爆供養塔に通いつめ、名前がわかっていながら引取り手がなかった遺骨の遺族を探し続けて、「ヒロシマの大母さん」と呼ばれるようになったその半生を綴り、さらに病に倒れた佐伯さんの意志を継ぐかのように遺骨の身元探しを始めて、多くの人を訪ねて、初めて本当のヒロシマと向き合ったという著者自身の体験を伝えています。
70年を経ても、決して終わることのない被爆の重い現実が伝わります。
是非、読んでいただきたい一冊です。 


今夏、広島市は原爆供養塔の内部を10年ぶりに報道各社に公開しました。
 
広島市は、氏名が判明しながら遺族のわからない遺骨について納骨名簿を公開しています。

(我孫子市平和事業推進市民会議 恒)