2016年12月14日

12月4日、「平和の集い」が開催されました

  124()、けやきプラザふれあいホールで「平和の集い 〜我孫子から平和を願う〜」が開催されました。多くの市民の皆さまにお集まりいただき、核兵器の廃絶を願い、平和の大切さを考える場となりました。 

【第1部】 長崎被爆体験講話

 爆心地から約4㎞の屋外で被爆された原田美智子さん(被爆当時6)を長崎からお招きして、被爆体験をお話しいただきました。原爆による病気で祖父、父、母、弟を亡くし、残された原田さんは13年間被爆者の健康診断に携わってこられました。 

【第2部】 長崎派遣中学生の報告

https://drive.google.com/file/d/0B63FzjF8R__9a0dwZTlyckFJRlE/view?usp=sharing
長崎派遣中学生の報告
(クリックして動画をご覧になれます)
今夏8月に長崎市を訪問し、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参列した市内中学生12名が長崎派遣での体験を報告。報告の締めくくりには、来場された方々を前に12名がそれぞれの「平和宣言」を語りました。
原爆や戦争を体験された方が少なくなっていく中、若い世代が核兵器廃絶の願い、平和への思いを引き継いでいくことの大切さが伝わりました。 

【第3部】 我孫子中学校演劇部・吹奏楽部 朗読劇
      「今は春べと咲くやこの花」

https://drive.google.com/file/d/0B63FzjF8R__9VWRLbUNLX1ZkNTA/view?usp=sharing
我孫子中学校演劇部・吹奏楽部 朗読劇
(クリックして動画をご覧になれます)
この「平和の集い」に4回目の出演となる我孫子中学校演劇部。今回は、長崎爆心地から700mの距離にあった山里国民学校の元教師・山崎壽子さんの体験手記から創作された台本をもとにした朗読劇を上演していただきました。台本は長崎市からご提供いただいたものです。 

今年は、長崎市との共催による「ナガサキ原爆被災展」、原田美智子さんの長崎被爆体験講話、そして長崎山里国民学校を舞台とした朗読劇の上演もあり、今夏の派遣中学生長崎訪問がこの「平和の集い」にしっかりつながってきていることを実感しました。 

「平和の集い」にご協力いただいた方々のご了解をいただき、本ブログに第1部から第3部までの動画を掲載します。
当日、ご来場いただけなかった皆さんにも、ぜひ動画を通じて、「平和の集い」からのメッセージに耳を傾けていただきたいと思います。
(動画は、上の写真をクリックすることにより、ご覧いただくことができます。)

2016年12月3日

ナガサキ原爆被災展が新聞紙上で紹介されました

平和の集い
(クリックで拡大)
  本ブログでもご案内させていただいておりますナガサキ原爆被災展(1130日~124日:けやきプラザ、アビシルベ)が以下新聞紙上で紹介されました。




ナガサキ原爆被災展
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また、124()平和の集いで上演されます我孫子中学校演劇部による朗読劇「今は春べと咲くやこの花」についても、朝日新聞に紹介記事が掲載されました。


ナガサキ原爆被災展、平和の集いへの、多くの市民の皆さまのご来場をお待ちしています。

2016年11月10日

【案内】 我孫子から平和を願う 平和の集い・ナガサキ原爆被災展

【平和の集い】、【ナガサキ原爆被災展】のご案内を致します。
多くの市民の皆さんがおいでくださいますよう、お待ち申し上げております。

平和の集い
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【平和の集い】

■日時:2016124()
 12:30 開場 13:00 開演
■場所:けやきプラザ2階 ふれあいホール(入場無料)
■プログラム:
    ・ 長崎被爆体験講話
    ・長崎派遣中学生報告会
    ・我孫子中学校演劇部 「今は春べと咲くやこの花」 
 



ナガサキ原爆被災展
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【ナガサキ原爆被災展】 (長崎市共催)

柱時計やマリア像、手に触れることが出来る表面が泡立った瓦、原爆が落とされた直後の写真など長崎市所蔵の貴重な物品を展示します。
 ■会場: けやきプラザ 第12ギャラリー、アビシルベ
 ■期間: 1130()124()
 ■時間: 午前10時~午後6時(12/4は午後4時まで)






 
◆けやきプラザ・アビシルベ案内図

2016年10月19日

【本の紹介】 綾瀬はるか 「戦争」を聞く



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 書 名 ① 綾瀬はるか 「戦争」を聞く
     ② 綾瀬はるか 「戦争」を聞く Ⅱ
 著 者 TBSテレビ『NEWS23』取材班 編
 出版社 岩波書店(岩波ジュニア新書)
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紹介する二冊、①はTBSテレビで放送された戦後60年記念企画「ヒロシマ」(2005)および、『NEWS23クロス』のシリーズ「綾瀬はるか『戦争』を聞く」(20102012年放送分)、②は同『NEWS23』のシリーズ「綾瀬はるか『戦争』を聞く」(20132015年放送分)に取材内容を追記して書籍化したものです。
女優の綾瀬はるかさんは、ご自身が広島市の出身。2005年にTBSテレビ戦後60年記念企画「ヒロシマ」で故・筑紫哲也氏とナビゲータを務めた際に、テニアンやサイパンの戦跡を取材、ご自身のお祖母様の被爆体験も初めて聞いたそうです。(姉を原爆でなくされたお祖母様の話は、②に収録されています。) 

この二冊で紹介されている戦争・被爆を体験された方々への綾瀬さんのインタビュー(「聞く」)は、広島、長崎から、沖縄、奄美、ハワイ、さらに、広島の原爆と東日本大震災の津波をともに体験された方にお話を聞くため陸前高田市にまで及んでいます。
綾瀬さんは1985年の生まれ。この二冊に掲載されている多く方々から伺った戦争・被爆体験のお話は、ちょうど二十歳代にあった綾瀬さん10年間の「聞く」の積み重ねにあたります。綾瀬さんは、2010年からだけでも40名以上の方々にお話を伺ったそうです。
なかには、ご自身のつらい体験を話すことを躊躇された方もいたそうです。そんな時、綾瀬さんは「今ここでこのお話を記録させてもらわないと、もう二度と聞けないかもしれない、とても大事なことを私は教えていただいているんだ」と思われたそうです。お年寄りに寄り添う綾瀬さんの人柄がお話しくださる方の心を開いたこともあったようです。 

お話を聞かせてくださった方のなかには、その後まもなく亡くなられた方もいらっしゃいます。戦争や被爆の体験をされた方々から直接お話を伺える機会は、ますます限られてきます。であればこそ、二十歳代の綾瀬さんが取り組んだ【「戦争」を聞く】 を、多くの中高校生に共有していただきたいと思います。
たいへん読みやすく、とても心に響く本です。我孫子市民図書館に蔵書がありますので、ぜひ借り出して読んでみてください。 

(我孫子市平和事業推進市民会議 恒)

2016年9月20日

【コミックの紹介】 この世界の片隅に


-【コミック】-----------------------------
  書 名 この世界の片隅に (上・中・下)
  作 者 こうの史代
  出版社 双葉社
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紹介するコミックは、こうの史代さんの『この世界の片隅に(上・中・下)』。
こうの史代さんの作品は、昨年も本ブログで、『夕凪の街 桜の国』を紹介させていただきました。
『この世界の片隅に』は、こうの史代さんが『夕凪の街 桜の国』に続いて広島を描いた作品。
広島市江波から呉に嫁いだ主人公すずは、嫁ぎ先で新しい家族たちとのささやかな暮らしをつくりますが、戦況は悪化の一途、軍港のある呉にはたび重なる空襲、そしてすずの実家がある広島には原爆が投下されます。
こうの史代さんのほのぼのとした絵とストーリー展開の中に、戦争の惨禍が色濃く語られます。
この作品は、アニメーション映画として、今年1112日に公開されるそうです。
      映画『この世界の片隅に』公式サイト 

こうの史代さんは、ご自身広島市の出身。『夕凪の街 桜の国』や『この世界の片隅に』を描いたご自身の気持ちを、朝日新聞社が毎年発行している教育特集「知る原爆」の中で、次のように語っています。  
「この世界の片隅に」では、戦時中の普通の生活をみてほしいと思って、あえて穏やかな暮らしを描きました。ふつうの人たちが戦争に巻き込まれてしまう。二度と戻ってこない当たり前の日々がどんなに尊いかを感じてほしい。 
 
こちらもぜひご覧ください。
       朝日新聞「知る原爆」 
            (「知る原爆」紙面イメージ(2016年版) こうの史代さんから)
 
(我孫子市平和事業推進市民会議 恒)

2016年9月14日

我孫子市、北朝鮮の核実験強行に厳重抗議

クリックで拡大
 99日に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が強行した通算5回目の核実験に対して、912日、我孫子市は、星野順一郎市長名で、北朝鮮金正恩国務委員会委員長宛に抗議文を送付、核実験実施に厳重に抗議するとともに、全ての核兵器と核計画を即刻放棄し、国際社会との対話と協調による外交努力を行うよう強く要請しました。 

我孫子市が、これまでに諸国の核実験に対して発した抗議については、我孫子市ホームページ内の以下ページをご覧ください。

2016年9月13日

毎日新聞で、我孫子市派遣中学生が紹介されました

  99()の毎日新聞千葉版で、この夏我孫子市から長崎に派遣された中学生12名に実施したアンケートの結果が紹介されました。中学生たちの回答には、長崎で被爆者の方から話を直接聞いて心を動かされたこと、長崎での体験を通して一層強くなった平和への願い、自分たちが学んだことを伝えていくことの大切さなどがつづられていたということです。
記事では、我孫子市のほか、流山市による小学生平和大使など、千葉県内から被爆地への児童・生徒派遣の取組みも紹介されています。是非、ご覧ください。 

2016年9月4日

【本の紹介】 ケストナー ナチスに抵抗し続けた作家

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  書 名 ケストナー ナチスに抵抗し続けた作家
  著 者 クラウス・コードン
  出版社 偕成社
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エーリッヒ・ケストナーの名前を、「エーミールと探偵たち」や「飛ぶ教室」を読んでご存知の方は多いと思います。
ケストナーは、18992月にドイツのドレスデンで生まれました。14歳の時(1913)、ケストナーは教師になることを目指して教員養成所に入学しますが、先生や上級生に絶対服従、規則で生徒たちをがんじがらめにするこの養成所の空気がいやでたまりませんでした。翌1914年に第一次大戦が始まり、ケストナーも1917(18)に徴兵されますが、心臓を病んで除隊。ドイツ敗戦後、教員養成所から大学進学を目指してギムナジウムに転校、1919年ライプツィヒ大学に入学して、文学、演劇、哲学を学びながら、新聞編集委員の仕事を始め、詩や舞台批評を発表し、やがて詩人として名が知られるようになります。ケストナーの詩や批評は、ヒューマニズムに裏づけられた社会風刺やパロディに満ちた作品として世の人びとに受け入れられました。
 
そうした中、ドイツ国内で「ドリトル先生」シリーズや「くまのプーさん」などの翻訳書を発行していた出版社から、子ども向けの本を書くことをすすめられて書いたのが、有名な「エーミールと探偵たち」。この本は1929年に発行されると瞬く間に人気を博し、さまざまな言語に翻訳され、世界中の子どもたちに親しまれるようになりました。
しかし、第一次大戦後世界でもっとも民主的といわれたヴァイマル憲法を制定したドイツで、ヒトラー率いるナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)が台頭、1933年にはとうとうヒトラーが政権を握ります。
ケストナーと含むドイツの多くの文学者たちは作品を書くことを禁じられ、トーマス・マン、フロイト、ゴーリキー、ヘミングウェイなど数多くの国際的知識人・作家の本がドイツ国内で焼かれました(焚書)。ケストナーの本も火に投げ込まれました。
ナチスに反発する多くの知識人・作家が弾圧され、逮捕者も出るようになり、ドイツから海外に亡命する知識人が少なくなかった中で、ケストナーは、ドイツ国内に留まります。 

ヒトラーが政権をとった1933年に発表された「飛ぶ教室」に、ケストナーの平和に対する強い意志がこめられた文章があります。
「飛ぶ教室」の中で主人公である少年たちの学校のクロイツカム先生が、少年たちに次のように言います。 

平和を乱すことがなされたら、それをした者だけでなく、
止めなかった者にも責任はある。 

多くの本を焼いたナチスは、ケストナーのことも苦々しく受け止めていたはずですが、ケストナーが世界的に、特に子どもたちに人気があったため、却って世の反発を招くことをおそれ、ケストナーの児童文学だけは、焚書の対象にしなかったということです。 

ケストナーが亡くなったのは19747月。第二次大戦後の世の中を、ケストナーはどのように見ていたのでしょうか。
第二次大戦後、新しい平和な国際秩序を作ろうとしているはずの各国首脳の様子を見て、ケストナーが書いたのが「動物会議(1949)」という絵本です。
87回も会議を重ねても結論がだせない人間たちに業を煮やして、世界中の動物たちが集まり「最初で最後の会議」を開催します。その会議の目的はただひとつ、「子どもたちのために!」でした。 

ケストナーの父親は、実はユダヤ人の医者だったと言われています。そのことをケストナーは18歳の時に母親から告げられていたとされていますが、ケストナー自身はそのことを明言していません。
もし、父親がユダヤ人であったとしたなら、戦中のドイツに踏みとどまり、ナチスへの抵抗をやめようとしなかったケストナーの意志は、心温まる作品を書く児童文学者という私たちのケストナーに対するイメージを大きく超えて、たいへん強く固いものだったと言わなければなりません。

このようなケストナーの生涯を書いた「ケストナー ナチスに抵抗し続けた作家」を読み、その後に、もう一度、「飛ぶ教室」をはじめとする作品を読んでみてください。
第一次大戦から第二次大戦、さらにその後を生きたケストナーの言葉の中に、戦後71年を迎えている私たちに、伝わってくるものが見つかるかもしれません。 

(我孫子市平和事業推進市民会議 恒) 

2016年9月2日

【本の紹介】 おかあさんの木

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 書 名 おかあさんの木
 著 者 大川 悦生 (おおかわ えっせい)
 出版社 ポプラ社(ポプラ文庫)
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この本には、表題作「おかあさんの木」をはじめ、東京大空襲、広島の原爆、シベリア抑留、玉砕の島を描いた作品など、小中学生向けに書かれた9編がおさめられています。9編のタイトルを紹介します。

l  おかあさんの木
l  火のなかの声
l  ぞうとにんげん
l  広島のきず
l  つる
l  父たちがねむる島
l  あほう六太の話
l  おもちゃ買いのじいやん
l  山のかあさんと16ぴきのねずみ 

表題作「おかあさんの木」は、7人の息子が次々と兵隊にとられ、そのたびにキリの木を植えて、息子たちが無事に帰ってくることを祈り、待ち続けたおかあさんの話。1969年に発表されて以来なんども小学校の国語教科書に収録されたそうです。
昨年、この作品のおかあさん役を鈴木京香さんが演じた映画が公開されました。
    映画「おかあさんの木」: http://www.mothers-trees.com/ 
 
 作者の大川悦生さんは、終戦の時、中学3年生で江田島海軍予科兵学校(広島県)に入校する直前。戦争が終わっていなければ、入校して6か月の訓練の後、特攻機に乗っていたかもしれないと、この本の本人あとがきに書かれています。戦後は、民話の再生に取り組み、この本以外にも原爆を題材にした作品などがあります。  

(我孫子市平和事業推進市民会議 恒) 

2016年8月22日

我孫子市 被爆71周年平和祈念式典が開催されました

「平和宣言都市として、核兵器の廃絶と世界の恒久平和の
実現に向け、一歩でも前進するよう多くの人びとと
連携の輪を広げていく」と語る星野市長
 813日、我孫子市の被爆71周年平和祈念式典が、手賀沼公園平和記念碑前で開催されました。
  式典では、『原爆詩集八月』から「原爆の思い出」の朗読、黙祷、長崎平和祈念式典に参加した中学生による報告、我孫子市原爆被爆者の会代表、ならびに星野我孫子市長による式辞などの後、平和記念碑、昨年広島平和記念公園から分火された平和の灯の前で、参加者全員によって、我孫子市平和都市宣言が読み上げられました。 


https://drive.google.com/file/d/0B63FzjF8R__9S3V4RlpmVHdBRm8/view?pref=2&pli=1
開式・詩の朗読(動画)
1986(昭和61)年に手賀沼公園に平和記念碑が建立されて以来開催されてきた我孫子市平和祈念式典は、今年より式典進行、詩の朗読などを、現在は社会人・大学生・高校生となっている、かつての広島・長崎派遣中学生たち若い世代が担うようになりました。2005(戦後60周年)から我孫子市平和事業の一環として広島・長崎に派遣されてきたかつての中学生たちが、昨年より始められた市内小学校でのリレー講座の講師をつとめるなど、平和を担う頼もしい次世代となってきてくれていることを実感する平和祈念式典でした。 

https://drive.google.com/file/d/0B63FzjF8R__9SFJYZ3Jyc2JBQ2c/view?pref=2&pli=1
長崎派遣報告(動画)
式典においては、今夏長崎に派遣された中学生12名を代表する派遣団長から、長崎派遣の報告がありました。12名は、長崎での被爆者講話、被爆遺構見学、全国から集まった青少年たちとの意見交換・交流などを通して、平和を考え、平和な世界を築いていくための貴重な体験を得たようです。 

献 花
式典の最後には、式典に参加された多くの市民の皆様による献花が行われました。一日も早い核兵器の廃絶と、世界の恒久平和をお祈りします。 




この式典については、毎日新聞、朝日新聞で以下の通り紹介されました。是非ご覧ください。
■毎日新聞
■朝日新聞

2016年8月17日

中学生の長崎派遣に同行して

 88日からの3日間、長崎に派遣された中学生に同行した郡山琴美さんが、同行して見た中学生たちの様子をレポートしてくれましたので、ご紹介します。
郡山琴美さんは、ご自身、かつての派遣中学生(平成22年度広島派遣)であり、現在は大学2年生です。
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被爆遺構見学 (浦上天主堂)
私は今回、長崎派遣の引率として同行させていただきました。中学生たちは思っていたよりも溶け込みが早く、全国の小・中学生や、高校生など集う青少年ピースフォーラムでは被爆体験講話を聞いて自分たちの感想を共有する姿が見られました。資料館を見学した際にも、展示物から「これは何?」(熱線により、人の影だけが残った跡を見て)「なぜ影だけが残っているの?」といった質問がたくさん寄せられました。 

青少年ピースフォーラム
帰りの電車で、派遣中学生が3日間の行程を振り返り、自分たちの素直な思いを話している姿がとても印象的でした。「もし、原子爆弾が落とされ、意識が残っていたとしても家族を探すほどの勇気はないと思う。」「平和が大切だと言われていたけれど、今回の派遣を通じてなぜ平和が大切なのかを改めて感じた。」などの声が聞こえてきて、私自身も考えさせられる一時でした。
派遣中学生がどんなことを考えているのか、そして三日間を通じて何を感じたのか、私と異なる世代の中学生の意見が聞け、とても良い経験になりました。

12月に行われる派遣中学生の発表会でも、自分たちの言葉で語ってくれることを期待します。

(我孫子市平和事業推進市民会議 郡山琴美)