2018年4月3日

戦後、パラオから引き揚げ我孫子に入植された玉根康徳さんへのインタビュー

https://drive.google.com/file/d/1c7hjC5ChCUpLew04xCeZJtTMpxuvYbk0/view?usp=sharing
玉根康徳さん、寺尾紗穂さんとインタビューに参加したメンバー
▲この写真をクリックすると、インタビュー記録()をご覧に
なれます。
 第一次大戦後から1945年の敗戦まで日本の委任統治領となっていたパラオ諸島には、かつて多くの日本人が移住していましたが、戦争末期、ペリリュー島での米軍との戦いなどでは、多くの犠牲者がでています。 戦後、パラオから引き揚げて来られて我孫子市内に移り住まわれた方々がいらっしゃいました。

先日、まだ幼い頃に家族とともにパラオに移植し、戦後我孫子市市内布施に入植された玉根康徳さんに、戦時中のパラオのこと、戦後引き揚げて来られてからの我孫子でのご苦労を伺うことができました。
伺ったお話の概略をまとめましたので、ご紹介させていただきます。

なお、玉根康徳さんへのインタビューには、ご縁あって、シンガーソングライターであり、エッセイストでもある寺尾紗穂さんにご一緒していただきました。

寺尾紗穂さんは、戦前コロール島に置かれていた南洋庁に官吏として赴任していた中島敦のパラオを舞台とした小説を読んだことが契機となって、パラオ、サイパンに取材、「あのころのパラオをさがして」、「南洋と私」などの著作を上梓されています。

(我孫子市平和事業推進市民会議 恒)

【報告】3月18日被爆体験講話・リレー講座実演

 318()、アビイホール(イトーヨーカドー我孫子南口店3)にて、被爆者体験講話とリレー講座の実演を行いました。
この催しは、被爆者の方々からリレー講座に講師として参加している現役の中学生まで、幅広い年齢の方々にお集まりいただき、核兵器廃絶の願いと平和への想いを世代から世代へリレーしていくたいへん貴重な機会となりました。

被爆体験講話とリレー講座実演の模様を、以下の動画からぜひご覧ください。  
 

1.   被爆体験講話


https://drive.google.com/file/d/1yE1i_n52NpLi0ZNszS6NhXuXlXgGissJ/view?usp=sharing
クリックして講話の
動画をご覧ください。
・篠崎 魏(たかし)
20歳の時に長崎市で入市被爆。
長崎市立山里中学校で教壇に立つ傍ら、戦争や被爆体験について伝えていらっしゃいました。
平成28年に娘さん家族のいる我孫子市に転居。
我孫子市原爆被爆者の会の会員として我孫子市平和祈念式典に出席するなど平和に関する活動を続けていらっしゃいます。 

 


https://drive.google.com/file/d/1MIPEjpCrWHqbqrxDEAU2RUPvcJBame_i/view?usp=sharing
クリックして講話の
動画をご覧ください。
・戸田 幸子氏
4歳の時に広島の自宅で被爆。
柏和会(柏市原爆被爆者の会)の役員として会の活動を支え、学校訪問事業では毎年、柏市の小学校6年生に被爆体験を語り伝えていらっしゃいます。


 
 
 

 

2.   リレー講座「未来を生きる子どもたちへ」
https://drive.google.com/file/d/1GOb9WKK00gGYG8JbyqtyWBQMKzaptmhK/view?usp=sharing
クリックしてリレー講座
実演の動画をご覧ください。

我孫子市では毎年8月中学生を被爆地である広島や長崎に派遣しています。かつてこの派遣事業に参加したOBOGたちが、市内の小学校を訪問し、平和について考える「リレー講座」に取り組んでいます。

 

 

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この日は、以上の催しが終了し一般来場者の皆さんがお帰りになったあと、歴代の派遣中学生の交流会を行ないました。
現役の中学生からすでに社会人になったOBOGたちまで、受験などでしばらく顔をみることのできなかった顔ぶれも揃い、お互いに近況を分かち合い、リレー講座活動への参加を呼びかけ合っていました。
我孫子市派遣中学生OBOG、頼もしい仲間たちの今後の活躍に期待したいと思います。

2018年3月10日

3月18日、被爆体験講話・リレー講座実演のご案内

https://drive.google.com/file/d/16vMFDSgAUnPLWf8tSGPG0YwbXGvjkFyG/view?usp=sharing
クリックで拡大表示
  318()、アビイホール(イトーヨーカドー我孫子南口店3)にて、被爆者体験講話とリレー講座の実演を行います。 

我孫子市、柏市在住の被爆者の方が、被爆の体験をお話しくださる貴重な機会です。

我孫子の若い世代が取り組んでいるリレー講座「未来を生きる子どもたちへ」を実演紹介させていただきます。

多くの方のご来場を、願っています。

■日時: 平成30318() 13001515
■場所 : アビイホール(アビイクオーレ3) 
    ※ イトーヨーカドー我孫子南口店3
■定員 : 300 (入場無料)
■主催 : 我孫子市平和事業推進市民会議・我孫子市

広報あびこ31日号3面にも、お知らせ記事を掲載しています。  https://www.city.abiko.chiba.jp/shisei/kouhou/abiko/backnumber/h29backnumber/20180301.files/180301_3S.pdf

2018年1月5日

中央学院大法学部の皆さんから「平和の集い」参加の感想をいただきました

  中央学院大学(我孫子市久寺家)法学部には、広島市・長崎市から【広島・長崎講座】に認定された「平和学」という講座があります。
昨年123日に開催した「平和の集い」に参加してくださった「平和学」川久保教授ゼミ2年の皆さんから、「平和の集い」参加の感想を寄せていただきましたので、ご紹介させていただきます。
 

派遣中学生の話を聞いて、戦争の恐ろしさや悲惨さ、中学生たちのリアルな心情を聞いてとても重苦しい気持ちになりました。それと同時に実際に自分の目でもしっかりと見て学びたいと思いました。派遣中学生の皆さんが言っていたように、あの悲劇があってこそ今の日本があり、私たちがいます。世界で唯一原子爆弾が使用された国として、世界平和を願う気持ちは強く大きく存在していることと思うし、私自身でそう感じました。平和の集いを通じて、知っておかなくてはならないことを聞くことが出来て良かったです。(倉沢茉柚さん) 

我孫子市が毎年中学生を広島、長崎に派遣していることを知りませんでしたが、今回平和の集いに参加して、中学の時に被爆地に赴くことの重要性を感じました。中学生の時の純粋な気持ちで原爆の事を学び、感じる事で原爆の悲惨さや被爆者の気持ちをダイレクトに受け止められるのではないかと思います。私は1度も広島、長崎に行ったことがないので、今回の報告を聞いて、原爆の与える影響や被爆の恐ろしさをより詳しく鮮明に知ることができ、勉強になりました。中学生の皆さんが感じたものを、私も実際に現地に赴いて、見て、感じなければならないというように感じました。(篠原真緒さん) 

原爆の被害に遭い何もかもなくなってしまったにも関わらず、原爆の3日後には電車が通り、生活を立て直そうとした当時の人々は凄いなと思いました。
平和の集いは戦争を経験していない人たちには過去を知ることの出来る良い機会だと思います。過去なんて知りたくない、どうでもいいではなく私たちは過去を知り繰り返さないようにしていく役目がある。朝起きて、三食食べて、学校に行き、友達と話してというのが当たり前のことではないのだと改めて思い毎日を大切に生きようと思いました。
現代はまだ平和とは言えない。世界に目を向けると戦争や紛争に苦しんでいる人々がいる。自分だけが楽しく生きて行ければ良いではなく、支えていくことができたら、争いで亡くなる人がいなくなればと思います。(安蒜菜々子さん) 

今回の平和の集いに参加して自分が感じたことは、戦争の体験を後世に伝えて行くことの大切さや難しさです。戦争を経験している世代の人が高齢者になり、後世に伝えて行くのが難しい、さらに今戦争というものが北朝鮮の問題などにより数年前よりリアルに感じる。戦争というものは近くに来ているのに、悲惨さを伝えることは難しくなってきているのだと今回の平和の集いに参加して感じることができました。(初山友一さん) 

私は今回、この平和の集いに参加して、中学生の方々の話を聞き、また演劇を観て戦争というものがどれだけ悲惨で恐ろしいことかということについて改めて考えさせられました。私は広島には一度も行ったことがありませんが、中学生の方々の派遣報告を聞き、広島に行き自分の目で戦争がどれほどのことだったのか知る必要があると思いました。
戦争がこの日本で起きたということは絶対に忘れてはいけないし、このようなことが起きたということを次の世代に伝えていかなければならないと思いました。これからもこの平和の集いを続け、多くの人たちに伝えて欲しいと思いました。今回平和の集いに参加してよかったです。(村上美唯奈さん) 

私はこれまで平和といえば高校時代に習った戦争のことが真っ先に浮かび、特攻隊やひめゆり学徒隊などある意味有名な出来事しか知りませんでした。しかし今回演劇や広島に行った中学生からの報告を聞いたことで有名なこと以外に個人個人で様々なドラマがあることを再認識することが出来ました。いま私たちは「平和」といえる世の中に暮らしていると思います、しかしどこか一つボタンの掛け違いが起こるだけで一気に平和ではなくなります。この「平和」な状況に暮らす私たちは改めて平和の尊さを胸に刻み込むとともにこの「平和」という財産を次の世代に受け継いでいく責任を感じました。(山口瑞生さん) 

  中央学院大学法学部「平和学」の「広島・長崎講座」認定については、以下のサイトをご覧ください。

2017年12月15日

ノーベル平和賞 サーロー節子さんスピーチ

  核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)へのノーベル平和賞授賞式が、1210日にノルウェーのオスロ市庁舎で行われました。団体を代表して登壇した被爆者サーロー節子さんによるスピーチの全文(英文)を、以下に掲載します 

サーロー節子さんはこのスピーチ原稿を、何度も何度も推敲して作られたそうです。私たちも、スピーチの訴えをしっかりと受け止めたいと思います。 

   演説文和訳については、以下サイトなどでご覧になれます。


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■サーロー節子さんスピーチ 

Your Majesties,
Distinguished members of the Norwegian Nobel Committee,
My fellow campaigners, here and throughout the world,
Ladies and gentlemen, 

It is a great privilege to accept this award, together with Beatrice, on behalf of all the remarkable human beings who form the ICAN movement. You each give me such tremendous hope that we can - and will - bring the era of nuclear weapons to an end. 

I speak as a member of the family of hibakusha - those of us who, by some miraculous chance, survived the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki. For more than seven decades, we have worked for the total abolition of nuclear weapons. 

We have stood in solidarity with those harmed by the production and testing of these horrific weapons around the world. People from places with long-forgotten names, like Moruroa, Ekker, Semipalatinsk, Maralinga, Bikini. People whose lands and seas were irradiated, whose bodies were experimented upon, whose cultures were forever disrupted. 

We were not content to be victims. We refused to wait for an immediate fiery end or the slow poisoning of our world. We refused to sit idly in terror as the so-called great powers took us past nuclear dusk and brought us recklessly close to nuclear midnight. We rose up. We shared our stories of survival. We said: humanity and nuclear weapons cannot coexist. 

Today, I want you to feel in this hall the presence of all those who perished in Hiroshima and Nagasaki. I want you to feel, above and around us, a great cloud of a quarter million souls. Each person had a name. Each person was loved by someone. Let us ensure that their deaths were not in vain. 

I was just 13 years old when the United States dropped the first atomic bomb, on my city Hiroshima. I still vividly remember that morning. At 8:15, I saw a blinding bluish-white flash from the window. I remember having the sensation of floating in the air.  

As I regained consciousness in the silence and darkness, I found myself pinned by the collapsed building. I began to hear my classmates' faint cries: "Mother, help me. God, help me." 

Then, suddenly, I felt hands touching my left shoulder, and heard a man saying: "Don't give up! Keep pushing! I am trying to free you. See the light coming through that opening? Crawl towards it as quickly as you can." As I crawled out, the ruins were on fire. Most of my classmates in that building were burned to death alive. I saw all around me utter, unimaginable devastation. 

Processions of ghostly figures shuffled by. Grotesquely wounded people, they were bleeding, burnt, blackened and swollen. Parts of their bodies were missing. Flesh and skin hung from their bones. Some with their eyeballs hanging in their hands. Some with their bellies burst open, their intestines hanging out. The foul stench of burnt human flesh filled the air. 

Thus, with one bomb my beloved city was obliterated. Most of its residents were civilians who were incinerated, vaporized, carbonized - among them, members of my own family and 351 of my schoolmates. 

In the weeks, months and years that followed, many thousands more would die, often in random and mysterious ways, from the delayed effects of radiation. Still to this day, radiation is killing survivors. 

Whenever I remember Hiroshima, the first image that comes to mind is of my four-year-old nephew, Eiji - his little body transformed into an unrecognizable melted chunk of flesh. He kept begging for water in a faint voice until his death released him from agony. 

To me, he came to represent all the innocent children of the world, threatened as they are at this very moment by nuclear weapons. Every second of every day, nuclear weapons endanger everyone we love and everything we hold dear. We must not tolerate this insanity any longer. 

Through our agony and the sheer struggle to survive - and to rebuild our lives from the ashes - we hibakusha became convinced that we must warn the world about these apocalyptic weapons. Time and again, we shared our testimonies. 

But still some refused to see Hiroshima and Nagasaki as atrocities - as war crimes. They accepted the propaganda that these were "good bombs" that had ended a "just war". It was this myth that led to the disastrous nuclear arms race - a race that continues to this day. 

Nine nations still threaten to incinerate entire cities, to destroy life on earth, to make our beautiful world uninhabitable for future generations. The development of nuclear weapons signifies not a country's elevation to greatness, but its descent to the darkest depths of depravity. These weapons are not a necessary evil; they are the ultimate evil. 

On the seventh of July this year, I was overwhelmed with joy when a great majority of the world's nations voted to adopt the Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons. Having witnessed humanity at its worst, I witnessed, that day, humanity at its best. We hibakusha had been waiting for the ban for seventy-two years. Let this be the beginning of the end of nuclear weapons. 

All responsible leaders will sign this treaty. And history will judge harshly those who reject it. No longer shall their abstract theories mask the genocidal reality of their practices. No longer shall "deterrence" be viewed as anything but a deterrent to disarmament. No longer shall we live under a mushroom cloud of fear. 

To the officials of nuclear-armed nations - and to their accomplices under the so-called "nuclear umbrella" - I say this: Listen to our testimony. Heed our warning. And know that your actions are consequential. You are each an integral part of a system of violence that is endangering humankind. Let us all be alert to the banality of evil. 

To every president and prime minister of every nation of the world, I beseech you: Join this treaty; forever eradicate the threat of nuclear annihilation. 

When I was a 13-year-old girl, trapped in the smouldering rubble, I kept pushing. I kept moving toward the light. And I survived. Our light now is the ban treaty. To all in this hall and all listening around the world, I repeat those words that I heard called to me in the ruins of Hiroshima: "Don't give up! Keep pushing! See the light? Crawl towards it."  

Tonight, as we march through the streets of Oslo with torches aflame, let us follow each other out of the dark night of nuclear terror. No matter what obstacles we face, we will keep moving and keep pushing and keep sharing this light with others. This is our passion and commitment for our one precious world to survive. 

12月3日、「平和の集い」が開催されました

  123()、けやきプラザふれあいホールで「平和の集い 〜我孫子から平和を願う〜」が開催されました。今年も、ご来場いただいたおよそ200名の皆さんとともに、平和を願う貴重な場となりました。 

【第1部】 広島派遣中学生の報告

https://drive.google.com/file/d/1yCq064Epn_SWZDdInEVNMlK6Mpm9Gv5R/view?usp=sharing
動画】広島派遣中学生の報告
(クリックして動画をご覧になれます)
 

今夏8月に広島市を訪問し、平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)に参列した市内中学生12名が広島での体験を報告してくれました72年前の原爆投下について学習したことや広島派遣で実際に体験したことの紹介、そして12名それぞれの「平和宣言」で締めくくられた今年の派遣報告は、例年にも増してすばらしい報告でした。
「わたしたちの平和宣言」を
発表する派遣中学生


報告の模様を動画形式で掲載しますので、当日来場が叶わなかった方も、この動画で、派遣中学生たちの声に耳を傾けていただければと思います。 

 


【第2部】 我孫子中学校演劇部「夏雲」


https://drive.google.com/file/d/1Vyt4m8EgPYKrhUQfqqMeOdxgY28gOjjP/view?usp=sharing
【動画】我孫子中学校演劇部「夏雲」
(クリックして動画をご覧になれます)
「平和の集い」には5回目の出演となる我孫子中学校演劇部。「夏雲」は、原爆投下により350名が犠牲となった広島女学院(広島市中区幟町)を舞台とした話です。女学生たちの学校生活を一瞬にして踏みにじった原爆と、被爆しながらわが娘、孫を思いやる元教師であるおばあさんの心情が伝わってくる劇でした。
我孫子中学校演劇部の劇は、原爆の恐ろしさと被爆した人々の苦しみを、毎年訴えかけてきます。

2017年11月26日

【ご案内】平和の集い ~ 我孫子から平和を願う ~

  今年は123()に【平和の集い】を開催します。
平和の集い
(クリックで拡大)
派遣中学生報告や我孫子中学校演劇から伝わってくる「平和への願い」を、ぜひ受け止めてください。 

■日時:123() 1330~(開場 1300
■会場:けやきプラザ2階 ふれあいホール
    (入場無料 JR我孫子駅南口から徒歩3分)
■プログラム
1 平成29年度広島派遣中学生による派遣報告
2 我孫子中学校演劇部による「夏雲」
 

また、以下の通り【我孫子から平和を願う展】を開催します。 

■展示期間:1128() 123()
 午前9時~午後6
       (初日は午後1時から、最終日は午後4時まで)
■展示会場:アビシルベ、
       ならびに けやきプラザギャラリー2 

会場案内図

多くの市民の皆さんがおいでくださいますよう、お待ち申し上げております。

2017年11月14日

【中央学院大学】平和学特別企画 レポート

報告する寺原委員
 さる1031日に中央学院大学の平和学(川久保文紀教授担当)の授業の一環として、我孫子市平和事業推進市民会議の私と郡山委員、小谷委員が平和についてのプレゼンテーションを行いました。
まず、私から「フィリピンスタディーツアー体験発表及び我孫子市平和事業推進市民会議の取り組みと中学生の広島派遣について」と題して報告を行いました。私は今春海外ボランティアという形で9日間にわたり、格差や子供の貧困問題を勉強すべくフィリピンに行きました。その時に学んだ事を学生に伝えたり、今夏中学生達と一緒に広島に派遣された様子等を織り交ぜながら平和について報告を行いました。

リレー講座を実演する郡山委員・小谷委員
そして、郡山委員と小谷委員は、「広島・長崎派遣中学生リレー講座-未来を生きる子どもたちへ」と題して市内の小学校で日頃から行っているリレー講座の実演を行いました。普段小学生に行っている様に分かり易く丁寧に広島・長崎の原子爆弾の恐ろしさを語り、小谷委員による被爆した小学生が書いた詩を朗読したりして平和の尊さを訴えていました。他にも千羽鶴が折られる様になった理由や長崎の稲佐山の説明も写真を用いて、報告していたことが印象に残りました。
 今回のアンケートには、以下のような意見や感想が寄せられました。 

平和学特別規格受講生による平和の樹
  現在フィリピンは親日だけど過去に日本軍が悲惨な事をしていた事は知らなかった。勉強しようと思う。
  フィリピンの格差問題に衝撃を覚えた。確かに無知は罪である事は正しいし、忘却も罪だ。
  リレー講座は小学生向けの講座だが、色んな人に受講してほしいと思った。
  被爆した小学生が書いた詩の朗読を聞いて心打たれた。 

このように、フィリピンの格差や過去の大戦時の日本軍による残虐行為を聞いてとても衝撃を受けたり、リレー講座に関してとても為になったというご感想に触れて、今回の企画は有意義だった思います。
 今後も同世代に平和の尊さを広めて行くと共に私自身も見識を深めていきたいと考えております。 

今回の平和学特別企画の模様が中央学院大学のHPに掲載されました。

今回の企画に多くの方からご協力を頂きました事を厚く御礼を申し上げます。 

我孫子市平和事業推進市民会議委員 寺原正一郎
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中央学院大学平和学特別企画における寺原委員のプレゼンテーションは、以下からご覧いただけます。

2017年10月17日

核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)にノーベル平和賞

 ノルウェー・ノーベル委員会が、国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」に今年のノーベル平和賞を授与すると発表しました。 

ジュネーブに本部を置くICANは、今年77日に国連で、核兵器禁止条約が国連加盟国の6割を超える122の国の酸性で採択されるのに大きく貢献しました。 

ICANは、対人地雷禁止条約やクラスター爆弾禁止条約をモデルとして、核兵器廃絶を包括的な条約で禁止することをめざし、広島、長崎の被爆者団体や各国のNGOとも連携してきました。事務局長のベアトリス・フィン氏は、ICANの活動について、「われわれは被爆者の話を聞くことから活動を始めた。それがベースだった」と説明した上で、平和賞受賞について、「広島、長崎の被爆者全員へも与えられる賞だ」と述べ、核兵器禁止条約制定に果たした被爆者の貢献を改めて強調したと報道されています。 

ICANのノーベル平和賞受賞が、国連での核兵器禁止条約採択に続き、核兵器廃絶に向けた大きな足掛かりとなることを、心から願います。

2017年10月5日

【本の紹介】ナガサキノート

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  書 名 ナガサキノート
      若手記者が聞く被爆者の物語
  編 者 朝日新聞長崎総局
  出版社 朝日新聞出版(朝日文庫)
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「ナガサキノート」は、朝日新聞長崎総局が、長崎原爆の被爆者の方々に取材し、その一人ひとりの人生をテーマに、2008810日から一日も欠かさずに毎日、長崎県内版に掲載している連載記事で、既に連載3000回を超えているそうです。
今回紹介する朝日文庫「ナガサキノート」は、この連載記事に20095月までに掲載された31人の被爆者の方々の計270回の記事を本にまとめたものです。 

この本の中で、被爆者31人の方々の人生が、194589112分を中心に綴られています。それぞれの人が、どのような暮らしの先に89日を迎えたか。そして、89日の被爆後どのような人生を過ごされてきたか。
31人が迎えた長崎でのそれぞれの89日。被爆した場所から避難した道のり、爆心地に向けて家族を探しに行った道のり。31人の方々の被爆前後の記録には、同じ町の名が何度も登場し、同じ兵器工場や長崎医科大学もでてきます。
31名の方々がその日辿った道は交わっていたかもしれませんが、それぞれに、それまでの暮しがあり、家族があり、そして一人ひとりのその後の人生がありました。 

「ナガサキノート」は、20代、30代の記者たちが取材し、執筆したのだそうです。この本を読んでみると、取材の時点で60代半ばから80代に達していた多くの被爆者の方々に、若い新聞記者たちが取材し、記録しているというそのことだけでも、たいへん意義深い取組みなのだと思えます。
「ナガサキノート あの日、人々の足取り」
(クリックでサイトにアクセスできます)
朝日新聞長崎県内版への「ナガサキノート」連載が現在も続いている一方、朝日新聞DIGITALには、「ナガサキノート あの日、人々の足取り」というページが公開されています。爆心地数キロ圏内で被爆した約150人の方々が、194589日にどのような足取りを辿られたか、3Dの地図上に再現されています。地図上から、お一人おひとりの証言を閲覧することもできます。 

朝日文庫「ナガサキノート」、朝日新聞DIGITAL「ナガサキノート あの日、人々の足取り」、ぜひご覧になってみてください。
 
(我孫子市平和事業推進市民会議 恒)

2017年9月8日

我孫子市:北朝鮮核実験に抗議

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が強行したと93日に報道された通算6回目の核実験に対して、星野順一郎我孫子市長は、9月6日、北朝鮮金正恩国務委員会委員長宛に抗議文を送付、再び核実験を実施することのないよう強く求めました。

我孫子市が、これまでに諸国の核実験に対して発した抗議については、我孫子市ホームページ内の以下ページをご覧ください。

なお、平和首長会議の松井一實会長(広島市長)も、同じく抗議文を送付しました。 

2017年9月5日

KASIWAピースウィーク2017 ~平和に気づく 平和を築く~

被爆体験講話(柏和会)
819()、柏市内アミュゼ柏で開催された「KASIWAピースウィーク2017 ~平和に気づく 平和を築く~」に行ってきました。
この日は、柏市原爆被爆者の会「柏和会」の方による被爆体験講話と、「柏・麦わらぼうしの会」による朗読劇がありました。 

朗読劇(柏・麦わらぼうしの会)
「柏・麦わらぼうしの会」は、戦争や原爆を体験された人々の思いを風化させてはいけないと、長く被爆者の方々から被爆体験の聴き取りを続けています。また、聴き取った被爆体験を朗読劇に仕立てて、2009年から柏市平和事業として、柏市内の小学校で朗読劇の公演をされています。今年6月には、被爆者の方々の体験を『つなぐ ~私たちが聴いた原爆被爆者の証言~』という証言集にまとめられました。 

証言集「つなぐ」
(柏・麦わらぼうしの会)
この日も、「柏和会」の方から貴重な被爆体験を伺うことができました。
「柏・麦わらぼうしの会」の皆さんによる朗読劇は、被爆者の方々の体験を朗読劇の形にして伝えるもので、子どもたちをはじめ、多くの人たちに観ていただきやすい、聞いていただきやすいものだと思いました。 

柏と我孫子、それぞれの地域で、それぞれの形で、そこに住まう人たちが平和を願って取り組んでいること、たいへん心強く思えました。 

(我孫子市平和事業推進市民会議  恒)