2016年6月18日

【本の紹介】ヒロシマ

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  書 名 ヒロシマ
  著 者 ジョン・ハーシー
  出版社 法政大学出版局
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この本の著者ジョン・ハーシーは、「20世紀アメリカ・ジャーナリズムの業績トップ100」の第一位に選ばれたピューリッツァー賞ジャーナリスト。彼は、19465月に広島を訪れ、6人の被爆者の体験を聞き取り、5章からなるこの本の4章までを書きました。


「ヒロシマ」を掲載したTHE
NEW YORKER誌(1946/8/31
4章までの記事は、米国の知識階級向け週刊誌ニューヨーカー誌に掲載されました。普段は多くの短篇を載せているニューヨーカー誌ですが、1946831日発行のニューヨーカー誌は、ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」だけで全誌が埋め尽くされていました。ニューヨーカー誌のこの号は、一日で30万部が売り尽くされたと言われています。原爆を投下した米国の市民に、原爆の真実を初めて伝えたのは、ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」でした。

「ヒロシマ」は、19494月に日本語版が出版されました。翻訳者のうちの一人は、この本に被爆体験が紹介された日本キリスト教団広島流川教会の谷本清牧師でした。谷本牧師は、戦後渡米して、広島の惨状と平和を米国内で訴え、「No More Hiroshima」の運動を提唱しました。

ジョン・ハーシーは、19854月、最初の訪問から39年後に再び広島を訪れました。そして、39年前に被爆体験を聞き取った6人のその後を取材し、この本の第5章「ヒロシマ その後」を書きました。今、私たちが手にとることのできる「ヒロシマ」は5章までがおさめられた「ヒロシマ [増補版]」です。

今年2月に本ブログで紹介しました秋葉忠利元広島市長の「報復ではなく和解を」には、以下のような文章があります。 

なぜ、世界には「力の支配」が蔓延しつつあるのでしょう。なぜ今、三度目の核兵器使用を恐れなくてはならないのでしょうか。

一つには、世界的に戦争の記憶、特に、核戦争の記憶が薄れつつあるからです。世界のリーダーたちのほとんどは戦争体験を持っていないのです。彼らは原爆の恐ろしさを想像することなど逆立ちしてもできません。ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』や長田新の『原爆の子』、大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』、そしてジョナサン・シェルの『地球の運命』さえも忘れられつつあります。
(岩波現代文庫 秋葉忠利「報復ではなく和解を」 p.24
 
ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」は、我孫子市民図書館でも借りて読むことができます。特に若い方々に読んでいただきたい本です。 

(我孫子市平和事業推進市民会議 恒)

2016年6月14日

戦後70年記念誌 『祈り』 を発行しました



 我孫子市では、平成27年度に、戦後70年・我孫子市平和都市宣言30年記念平和事業の一環として、市民の方から寄せられた戦中・戦後の体験や、平和について思うこと、我孫子市の平和事業などを綴った『戦後70年記念誌~祈り~』を作成しました。

記念誌は、市役所の行政情報資料室や図書館(我孫子・湖北台・布佐)、近隣センターでご覧いただけますが、この記念誌のPDF版を閲覧できる我孫子市ホームページのアドレスをご紹介します。
 
 

== 我孫子市2015年度 戦後70年記念誌 ~祈り~ ­­­­==
 
【はじめに】
我孫子市は、昭和60123日に平和都市を宣言しました。
被爆した広島市旧市庁舎の側壁と敷石を我孫子市原爆被爆者の会が譲り受け、我孫子市が、昭和618月、手賀沼公園内に「平和の記念碑」を建立しました。
市長、教育長、我孫子市平和事業推進市民会議会長の挨拶文を掲載しています。 

【目次】
目次 

【第1部 平和祈念文集】
「次世代に伝えたい戦中・戦後の体験」「平和について思うこと」をテーマに原稿を募集し、63名の市民の皆さんから寄稿いただきました。

【第2部 我孫子市の平和事業】

1.継続事業
我孫子市では、平和祈念式典のほか、戦後50年、60年、65年の節目の年に記念事業を実施し、戦後60年にあたる平成17年から、被爆地の広島や長崎への中学生派遣事業を始めました。また、平成20年には平和事業推進条例を制定し、平和事業市民会議とともに平和事業に取り組んでいます。平成27年は、節目の年にあたり、毎年行っている平和事業を拡大して実施しました。

2.戦後70年・我孫子市平和都市宣言30年記念平和事業
我孫子市平和事業推進市民会議の委員28名は、「イベント」「ホームページ」「小中学校関連」「記念誌」の4つの部会に分かれて、それぞれの事業を企画し、実施しました。

【第3部 これまでの平和への取り組み】
我孫子市がこれまでに取り組んできた平和事業を年表形式にまとめました。 

【資料編】
平和事業推進条例、平和事業推進市民会議委員名簿、編集後記などを掲載しています。

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戦後70年記念誌のほか、戦後60年、65年の記念誌など、我孫子市の平和事業の取組みは、我孫子市の以下サイトからご覧いただけます。

2016年6月11日

オバマ大統領の折り鶴と我孫子の禎子鶴

 広島を訪れたオバマ大統領が広島市に寄贈した自作の折り鶴が、69日から8月末までの予定で、広島平和記念資料館(原爆資料館)で公開されています。
オバマ大統領については、事前に「オバマ氏が禎子の鶴を見たがっている」と伝えられていたと報道されていました。


アビスタに常設展示されている禎子鶴
(周囲にあるのは、我孫子市民の方が作った折鶴)
「禎子鶴」は、広島に投下された原爆で被爆して10年後に白血病を発症して病床にあった佐々木禎子さんが、キャラメルの包み紙で折った折鶴。
オバマ大統領は、原爆資料館でこの禎子鶴に体をかがめ、顔を近づけて見入っていたということです。
そして、オバマ大統領自身が作って携えてきた折り鶴が、資料館内で大統領を迎えた小中学生2人に手渡したというニュース、ご覧になった方も多いことと思います。  


すでにこのブログ昨年12月17日記事でも紹介しましたが、佐々木禎子さんが折った禎子鶴が、禎子さんの兄である佐々木雅弘さんと甥の佐々木祐滋さんにより我孫子市にも寄贈され、1212日からアビスタにも常設展示されています。
オバマ大統領の広島訪問により禎子鶴がニュースに取り上げられた先週、あらためてアビスタの禎子鶴の紹介記事が、東京新聞に掲載されました。こちらの記事もぜひご覧ください。 

2016年6月10日

オバマ米大統領の広島訪問

 521日、オバマ大統領が現職米国大統領として初めて、被爆地広島を訪れました。
米国内世論を意識し、原爆投下の是非には触れない訪問であったとはいえ、被爆71年目の米国大統領広島訪問は、「歴史的訪問」として大きな反響をもって受け止められています。
オバマ大統領は20094月のプラハでの演説で、核廃絶への具体的な目標を示したとされますが、このたびの広島記念公園での演説では以下のように語りました。 

We may not realize this goal in my lifetime. But persistent effort can roll back the possibility of catastrophe. We can chart a course that leads to the destruction of these stockpiles. 

この目標(核なき世界)は、私が生きている間に達せられないかもしれません。しかし、私たちは、根気強い努力で悲劇の可能性を減らすことはできるのです。(核兵器の)大量備蓄を廃絶する道筋をつけることが、私たちにはできるのです。 

平和記念公園でのオバマ大統領献花の場に列席された被爆者代表の方々の中に森重昭さん(1937年生まれ)というアマチュア歴史家の方がおられました。森さんは、自らも被爆者でありながら、私財を投じて、広島で原爆の犠牲となった米兵捕虜12名全員の遺族を探し出し、家族が原爆の犠牲となった事実を伝えてきました。オバマ大統領が献花の後、抱擁を交わした相手の方が森重昭さんでした。
オバマ大統領演説の冒頭に以下のようなくだりがあります。 

Why do we come to this place, to Hiroshima?  We come to ponder a terrible force unleashed in a not so distant past. We come to mourn the dead, including over 100,000 in Japanese men, women and children; thousands of Koreans; a dozen Americans held prisoner. Their souls speak to us. They ask us to look inward, to take stock of who we are and what we might become.  

私たちは、何のためにこの地、広島をおとずれるのか。私たちは、そう遠くはない過去に解き放たれてしまった恐ろしい(原爆の)力に思いを馳せるためにこの地を訪れるのです。10万人以上の日本人の男女、子どもたち、数千の朝鮮人、そして十数人の米国人捕虜を悼むために来るのです。彼らの魂は、私たちに語りかけます。彼らは、私たちが何者であるのか、何をなしうるのかを私たち自身に問いかけるよう求めています。 

オバマ大統領は演説の中で、被爆者の魂は、核廃絶という人類史上かつてない目標に、私たちがどのように向かっていくのか、それを問うているのだと語ります。 

And yet, the war grew out of the same base instinct for domination or conquest that had caused conflicts among the simplest tribes; an old pattern amplified by new capabilities and without new constraints.  

しかしながら戦争は、もっとも単純な部族間の紛争と同じ支配や征服の本能から生まれながら、新しい(原爆の)力によって昔からのパターンが増幅され、そしてついには歯止めを失ってしまったのです。
 

Science allows us to communicate across the seas and fly above the clouds; to cure disease and understand the cosmos. But those same discoveries can be turned into ever-more efficient killing machines. The wars of the modern age teach this truth. Hiroshima teaches this truth.  

科学によって、私たちは海を越えてコミュニケーションし、雲の上を飛行し、病気を治し、宇宙を知ることができるようになりました。しかし、同じこれらの発見が、恐るべき殺戮の道具をもたらしているのです。現代の戦争はこの真実を私たちに突きつけています。広島がそのことを教えてくれているのです。
 

How often does material advancement or social innovation blind us to this truth. How easily we learn to justify violence in the name of some higher cause. Every great religion promises a pathway to love and peace and righteousness, and yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith as a license to kill. 

物質的な進歩、社会的な革新の中で、いくたび私たちはこのことを見失ってきたのでしょうか。いかに安易に私たちは、より高い大義とされるものを理由に暴力を正当化してきたでしょうか。あらゆる偉大な宗教が愛、平和、公正への導きを約束しながら、信仰をもって殺戮を正当化する信徒から免れていないのです。
 

But staying true to that story is worth the effort. It is an ideal to be strived for; an ideal that extends across continents, and across oceans. The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious; the radical and necessary notion that we are part of a single human family - that is the story that we all must tell. 

しかしこの物語に忠実であり続けることは、努力に値することなのです。それは、大陸を横切り、海を越えて広げていくべき理想なのです。すべての人の譲ることのできない価値、すべての命は尊いという信念、私たちはみな人類という家族の一員なのだという根本的でなくてはならない認識、これらがみな、私たちが伝えていかなければならない物語なのです。
 

任期が残りわずかとなったオバマ大統領は、演説を終えて広島を去りました。
核廃絶という目標にどのように向き合っていくのか、そのことが私たちみなに問われています。

オバマ大統領の広島演説の全文については、以下のサイトなどを参照ください。 

2016年2月15日

【本の紹介】 報復ではなく和解を

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 書 名 報復ではなく和解を
 著 者 秋葉忠利
 出版社 岩波書店(岩波現代文庫)
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著者 秋葉忠利氏は、数学者として広島修道大学・広島大学などで教鞭をとった後、衆議院議員を経て、1999年から2011年まで広島市長を3期務めました。

この本には、核の脅威に対してこれまで大きな抑止力となってきた被爆者が高齢化している今、平和を願うだけではなく、具体的に核を廃絶し平和を引き寄せるために、私たちはどうしたらよいのかを考えるヒントと勇気が、多く書き込まれています。 

911同時多発テロ以降、あってはならない「平和のための戦争」が公然と叫ばれ、実行(イラク戦争など)されるようになった21世紀にある私たちにとって、「想像力を駆使することで未来の世界のデザインを描き、その実現のためにはいくつものハードルがあったとしても、きちんと目標を掲げて努力することが大切」ということを、著者は、リンカーン大統領就任演説の “The Better Angels of Our Nature (私たち自身の中にあるよりよいもの)” を引用するところから始めて、そこにある私たちの希望と可能性を具体的に挙げて、説いています。 

著者が説く「報復から和解へ」のパラダイムシフトの可能性から、以下の二点を紹介します。 

     自分たちを「少数派」だと思っていた人たちが、インターネット(SNSなど)でつながることによって、実は「多数派」であることに気づき始めたという変化の可能性

これまで報道などにもなかなか取り上げられることのなかった平和を求める草の根の声がSNSなどを通してつながるようになり、実は私たちは多数派だったと知ることによって、世界に届く草の根の声が力強く広がってきています。

     国家単位の世界から都市単位の世界への思考の枠組みを変えることによる可能性

国政ではなく地方自治の観点、国ではなく都市(最小の行政区画:市町村区)の単位の世界の思考に枠組みを変えることによってパラダイム転換の可能性が生まれます。市民との距離が近く、市民の多様性を包含することによって創造・文化・エネルギーを生みだす都市だからこその可能性があります。

著者が広島市長時代に推進した平和市長会議(現在の平和首長会議)の活動や、国内外の大学に開設を広めた「広島・長崎講座」の取組みもこれに連なるものなのだと思います。(昨年、中央学大学の「平和学講座(川久保文紀准教授担当)」も「広島・長崎講座」に認定されました) 

「未来の世界のデザインを描き、努力すること」、それが我孫子で私たちが取組み、伝えていくべきことなのだと思います。 

(我孫子市平和事業推進市民会議 恒)

2016年1月22日

手賀沼公園に陽光桜が植樹されました


陽光桜を植樹した
我孫子市被爆者の会メンバー
 115日、平和の象徴「陽光桜(ようこうざくら)」が、手賀沼公園の平和記念碑・平和の灯近くに植樹されました。

陽光桜は、戦時中、愛媛県東温市で軍国教育を行っていた青年学校の教員を務め、2001年に92歳でなくなった高岡正岡氏が、教え子を戦地に送った後悔の念と反戦の思いを込めて、教え子たちが命を落とした亜熱帯のジャワでも極寒のシベリアでも花を咲かせる新品種として30年をかけて生み出した桜。高岡氏はこの桜の苗木を生涯にわたって無償配布、現在では世界の多くの国で花を咲かせているそうです。 

手賀沼公園での陽光桜植樹は、以下の報道サイトで紹介されています。

平和を願い、陽光桜を開発に半生を捧げた高岡正明氏の物語は、2015年秋、俳優笹野高史さん主演の映画として公開されました。

2016年1月20日

我孫子市:北朝鮮水爆実験に抗議

 16日朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が強行した通算4回目の核実験(北朝鮮は水爆実験であると声明)の実施に対して、113日、星野順一郎市長ならびに我孫子市議会は、それぞれ北朝鮮金正恩第一書記宛に抗議文を送付、再び核実験を実施することのないよう強く求めました。


我孫子市が、これまでに諸国の核実験に対して発した抗議については、我孫子市ホームページ内の以下ページをご覧ください。

2015年12月17日

禎子鶴の常設展示が始まりました(アビスタ)

常設展示される禎子鶴
(周囲にあるのは、我孫子市民の方が作った折鶴)

 126()の「平和の集い」で佐々木禎子さんの兄の佐々木雅弘さんと甥の佐々木祐滋さんから寄贈された禎子鶴の常設展示がアビスタで始まりました。

常設展示開始にあたり、1212()、アビスタで『禎子鶴お披露目式』が執り行われました。

 

禎子鶴は、広島に投下された原爆で被爆して10年後に白血病を発症して病床にあった佐々木禎子さんが、キャラメルの包み紙で折った折鶴。高さ1㎝ほどの小さなもので、針を使って折られたもの。
 

お披露目式後、アビスタ常設展示コーナー前で
禎子鶴展示コーナーは、アビスタの西側入口から入ったところに設置されています。是非、ご覧になってください。






 禎子鶴の常設展示については、朝日新聞で紹介されました。

■朝日新聞

12月6日、[平和の集い]が開催されました


https://drive.google.com/file/d/0B63FzjF8R__9QnV6UXRzZ1NiWjQ/view?usp=sharing
「平和の集い」プログラム。
クリックで4ページ目まで

  126()、けやきプラザふれあいホールで「平和の集い 〜我孫子から平和を願う〜」が開催されました。延べ500名を超える方々にお集まりいただき、核兵器の廃絶と平和への願いを、ともに確認しあう場となりました。

◆ 中学生が語る 平和への思いを!

今夏広島市平和記念式典に参列した中学生24名が、広島で学び考えてきたことを自分たち自身の言葉で語ってくれました。

◆ サダコ鶴寄贈式

佐々木禎子さんの折り鶴が、禎子さんの兄の佐々木雅弘さんと甥の佐々木祐滋さんにより我孫子市に寄贈されました。


クリックで拡大
◆ 「禎子物語」の朗読

佐々木雅弘さんと我孫子中学校演劇部により朗読された「禎子物語」は、既に禎子さんの物語をよく知る人、初めて禎子さんの物語を知る人、どちらの胸にも深く響きました。

INORI コンサート in ABIKO

シンガーソングライターである佐々木祐滋さんの「INORI」をはじめ、布佐中学校吹奏楽部など我孫子市近隣在住の方々が、演奏を通して平和へのメッセージを訴えました。最後に、会場も含む全員で「INORI」を合唱し、平和の集いを閉じました。

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平和の集いにはマスコミの取材もあり、NHKJ-COMのテレビニュース、毎日新聞で集いの模様が紹介されました。
 
 ■ 毎日新聞 :サダコの折り鶴  平和の象徴、我孫子に寄贈
   

2015年12月5日

【本の紹介】 世界の果てのこどもたち

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書 名 世界の果てのこどもたち
著 者 中脇初枝
出版社 講談社
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戦後70年にあたるからでしょうか。今年は、戦争の記憶を活字に刻み、戦後を振り返ろうとする本や映画が多いように思えます。
「世界の果てのこどもたち」も今年6月に出版された本です。

珠子は、家族とともに満州に渡って満州開拓団に参加、開拓団村に暮らすことになった珠子(たまこ)。珠子がその開拓団村に暮らしていた朝鮮人の美子(ミジャ)。横浜で裕福な家庭に育ち、父とともに満州を訪れた茉莉(まり)。ともに国民学校一年生であることは同じでも、それまでまったく違った環境で育ってきた三人の少女が戦時中の満州で出会い、時代の奔流によって離れ離れになっていきます。戦争が終わり、日本に帰国する茉莉、朝鮮での生活基盤を既に失っていた家族とともに日本に渡る美子、そして、母親から引き離され、中国に取り残される珠子。
愛情を注いでくれる中国人養親との暮らしの中でいつのまにか日本語さえ忘れてゆく珠子。横浜大空襲で肉親を失い施設で暮らすこととなる茉莉。38度線による祖国分断に翻弄される美子。物語は、中国文化大革命の時代を経て、中国残留孤児の肉親捜しが始まる1980年代へと引き継がれていきます。
戦争の時代は、少女三人に互いの絆の深い記憶を刻んでおきながら、彼女たちの肉親やふるさとを奪い、彼女たちのアイデンティティまで根こそぎ揺るがしながら、三人を置き去りにしていきます。

少女たちを踏みにじっていく戦争の時代には、少しの容赦もありませんが、物語の最後に、茉莉が語る言葉に救いを感じます。

いくらみじめで不幸な目に遭ってもね、享けた優しさがあれば、それをおぼえていれば、その優しさを頼りに生きていけるのね。それでその優しさを人に贈ることもできる。

この物語は、40年もの間、少女三人を「果て」に追いやり続けた東アジア(中国・朝鮮・日本)の時代を語りながら、そうした時代の流れを超えてつながり続ける人の絆のかけがえなさを、読む者の胸に訴えてきます。

若い人に是非とも読んでほしい、強く薦めたい一冊です。 

(我孫子市平和事業推進市民会議 恒)