2017年7月27日

禎子鶴がユタ州原爆訓練地へ

 2歳の時広島で被爆、12歳でその命を終え、広島市平和記念公園の「原爆の子の像」のモデルになった佐々木禎子(さだこ)さんが闘病中に折った鶴(禎子鶴)が、8月6日、米ユタ州の博物館に寄贈されることとなりました。この博物館は原爆を投下した米軍機エノラ・ゲイの格納庫が現存し、エノラ・ゲイの乗組員が訓練の拠点としていた空軍基地の跡地にあります。
禎子鶴の米国への寄贈は、ハワイの真珠湾攻撃の犠牲者を追悼するアリゾナ記念館やニューヨークの同時多発テロの犠牲者の追悼施設などに続き、6カ所目になるそうです。


戦後70周年にあたる一昨年、我孫子市にも佐々木禎子さんが作った折り鶴が寄贈されました。2015126日にけやきプラザふれあいホールで開かれた「平和の集い 〜我孫子から平和を願う〜」の場で、佐々木禎子さんの兄の佐々木雅弘さんと甥の佐々木祐滋さんにより寄贈され、同年1212日より、アビスタで常設展示されています。アビスタにおいでの折には、ぜひご覧になってください。

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