2015年11月16日

【本の紹介】 対馬丸

理論社版
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書 名 対馬丸
著 者 大城立裕
出版社 理論社・講談社文庫
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1944822日深夜、沖縄から九州に向かった学童疎開船対馬丸が米潜水艦の攻撃により沈没、乗船していた800余名の学童の多くが命を落とし、命をとりとめた学童はわずか59名だったという対馬丸事件。
沖縄から本土への学童疎開は、サイパン玉砕(19447)に次ぐ決戦地となる可能性が高いとみられた沖縄への兵員・軍事物資輸送とあわせて、沖縄県知事への「非戦闘員(老人・婦女子)10万人を本土もしくは台湾に疎開させよ」という政府通達により実施されました。非戦闘員の安全を守るという名目のほか、兵員が増派されている沖縄での食料事情なども勘案した対応だったようです。
対馬丸も本土からの往路は兵員輸送、復路は疎開輸送にあたっていました。
沖縄県教学課からの通達により、県内国民学校では疎開学童を募りますが、九州までの海域に現れる米潜水艦の危険性や、「本土」という未知の地にわが子を送り出すことの不安から、多くの保護者がわが子の疎開を躊躇したそうです。保護者は軍艦による疎開輸送を望みますが、当時の日本海軍にはこれに充てる軍艦の余裕は既になく、結局、対馬丸のような貨客船が疎開輸送にあたりました。
講談社文庫版
対馬丸・暁空丸・和浦丸の三隻からなる船団は、駆逐艦、砲艦各一隻の護衛を伴って、820日夕刻に那覇港を出発。対馬丸に乗船した学童たちの中には、疎開の意味も米潜水艦の危険性もまだ理解できず、乗船した最初の晩を「まるで修学旅行に行くかのように」、興奮して過ごした子どももいたと記録されています。
米潜水艦からの魚雷攻撃は、82222時過ぎ。三隻のうち一番船足の遅い対馬丸が魚雷命中から11分後に爆発を起こして、乗船していた1661(学童800余名を含む)とともに沈没。奄美大島には多くの遺体が漂着し、命をとりとめた59名の学童も何日もの漂流の後にようやく救出されました。

この本「対馬丸」は、最初1982年に理論社から出版されましたが、今年3月に講談社から文庫版が出版されました。
著者である大城立裕さん(沖縄県出身の作家)の記述には事実と異なる点もあると指摘されていますが、生存者の体験に取材した大城さんのこの本が、沖縄以外ではあまり知られていなかったこの惨劇を日本中に知らしめることとなったといいます。

(我孫子市平和事業推進市民会議 恒)

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