2018年8月29日

我孫子市 被爆73周年平和祈念式典と平和祈念映画上映会が開催されました

 8月11日、我孫子市の被爆73周年平和祈念式典が、手賀沼公園平和記念碑前で開催されました。 式典は、詩「コレガ人間ナノデス」、「僕は死ねない」の朗読、黙祷に続いて、我孫子市原爆被爆者の会会長(代理)、星野我孫子市長による式辞、そして今夏広島に派遣された中学生12名を代表して佐藤優馬君(我孫子市立布佐中学校2年)から広島派遣の報告がありました。すばらしい報告でした。本記事の末尾に動画参照のためのURLを掲載しますので、ぜひ中学生の派遣報告を聴いてください。 式典は、参列者全員による我孫子市平和都市宣言の読上げと献花をもって終了しました。

我孫子市原爆被爆者の会会長(代理)による式辞
 式典終了後アビスタ1階ホールにて、平和祈念映画上映会と題して映画『いしぶみ』を上映しました。
この映画は1945年8月6日の朝、建物疎開作業のために本川土手(現在の広島平和記念公園内)に集合した全員が命を奪われた広島二中一年生の321名に何が起こったのかを綾瀬はるかさんの朗読で伝える是枝裕和監督の作品です。『万引き家族』でのカンヌ国際映画祭パルムドール受賞が話題になった是枝監督の作品であったこともあり、大勢の市民の皆さまにご来場いただきました。あの朝それが最後になるとも知らず子どもを送り出した母親、「おかあさん」と叫びながら息を引き取っていく子どもたち、被爆した広島市内にわが子を探し回る親たち、朗読する綾瀬はるかさんの抑えた声が、胸に突き刺さる映画でした。 

今夏の広島派遣中学生
平和祈念式典の模様を、動画でご紹介します。ぜひ、ご覧になってください。 

■被爆73周年我孫子市平和祈念式典 

2018年8月3日

我孫子市民の皆さんから寄せられた折り鶴

 7月21日、猛暑の中、我孫子市役所で市民の方から寄せられた沢山の折り鶴を数える作業を、市民会議の委員の方やそのご家族、市役所の方と行いました。
 今年、我孫子市では過去最高の10万24百羽の折り鶴が寄せられました。私は、市民会議の委員ながら昨年の折り鶴を数える作業をしていなかったので今年は時間が確保できたため参加させて頂きました。
 毎年毎年一つ一つの折り鶴にどの様な想いや願いを込めて作っているのだろうかと作業をしながら考えていました。世界平和や身近な人の幸せを願う様な想いもあると思います。

 
 今夏は異常気象が続き、大雨被害や猛暑が日本列島を襲っています。7月の豪雨災害では、広島県、岡山県、愛媛県等に多数の死者、行方不明者が出ました。折り鶴を作った市民の方々の中には7月の豪雨災害の犠牲者に向け、哀悼の意を込めて作った人も居られるかもしれません。 少しでも早く復興することを願いながら、我孫子市にお住まいの方も異常気象に備えるようにお願いを申し上げます。 
 余談でありますが、我孫子市の人口は13万人、今回ご寄付頂いた折り鶴の数は、10万24百羽です。いつか我孫子市の人口を上回る折り鶴が到達する日も近いと感じています。
 
 拙い文章でしたが、最後までお読み下さり、ありがとうございました。
 
我孫子市平和事業推進市民会議委員 寺原正一郎

2018年7月31日

今年は、広島平和記念式典に市内中学生12名が派遣されます

  我孫子市では、2005年(戦後60年)から、平和事業の一環として、毎年8月に、広島市平和記念式典または長崎市平和祈念式典に、市内の中学生を代表団として派遣しています。昨年までに既にのべ120名の中学生が広島・長崎に派遣されています。 
 今年も、8月5日から7日までの日程で、12名の中学生が広島に派遣されます。派遣期間中12名の中学生は、広島平和記念資料館、原爆死没者追悼祈念館などを見学、8月6日には広島平和記念式典に参列します。その後、我孫子市民の皆さんが折ってくださった千羽鶴を原爆の子の像に奉納し、爆心地に近い袋町小学校と本川小学校の平和記念資料館を見学する予定となっています。

派遣中学生と星野市長、倉部教育長
 
 7月25日(水)、この夏広島に派遣される中学生たちが我孫子市教育委員会に集合して事前学習会を行いました。学習会では、派遣日程の説明を受けた後、派遣団長、副団長を決め、班行動のグループ分けを決めました。

先輩からのアドバイスを受ける中学生たち

 その後、かつての派遣中学生で現在は高校生である先輩から、広島を訪問するに向けてのアドバイスを受け、我孫子市被爆者の会の的山ケイ子さんからは、被爆者健康手帳を取得される20歳になるまでのご自身のことなどのお話を伺いました。

 事前学習会後には、中学生とともに広島を訪問される星野我孫子市長、倉部教育長と意見交換。市長からは、「広島訪問中はたいへん暑くなります。健康に注意しながら、見たこと、感じたこと、考えたことについてたくさん話し合いましょう」との言葉をいただきました。

的山さんのお話を聞く中学生たち

広島に派遣される中学生たちによる派遣報告会は12月2日(日)にけやきプラザふれあいホールで開催されます。派遣報告会に、ご期待ください。

2018年7月19日

【ご案内】 被爆73周年我孫子市平和祈念式典・映画上映会

本年も、以下の通り「平和祈念式典」、ならびに「平和祈念映画上映会」を開催します。

■平和祈念式典
 ・日  時:平成30年8月11日(土) 9:30~
 ・場  所:手賀沼公園内「平和の記念碑」前
 ・内  容:黙とう、献花、広島派遣中学生の報告 等

■平和祈念映画上映会
 ・日  時:平成30年8月11日(土) 平和祈念式典終了後(11時上映開始)
 ・場  所:アビスタホール 定員100名(先着順) 無料
 ・上映映画:『いしぶみ』 (監督 是枝裕和 出演 綾瀬はるか、池上彰)

1945年8月6日。その日朝から建物解体作業のために本川土手に集合していた広島二中の一年生321人。彼ら全員の命を奪った原爆。
この日彼らに何が起こったのか。不朽の名作『碑』が広島市出身の綾瀬はるかさんを語り部として現代によみがえります。監督は、『万引き家族』で第71回カンヌ国際映画祭最高賞パルムドールを受賞した是枝裕和さんです。
 
https://drive.google.com/file/d/1AcS0rYGbd5KqrtEdVdNVFioTMoJ1MBO6/view?usp=sharing

また以下の期間、「原爆に関する写真と平和祈念の折り鶴」展を開催します。あわせてぜひご覧ください。

■「原爆に関する写真と平和祈念の折り鶴」展
 ・開 催 日:平成30年8月3日(金)~8月16日(木)
 ・会  場:生涯学習センター アビスタ1階ストリート
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手賀沼公園には、平和を祈念するモニュメントが多くあります。平和祈念式典においでくださった折りに、これらのモニュメントをご覧いただければ幸いです。
u 平和記念碑
u 平和の灯
u 被爆アオギリⅡ世、被爆クスノキⅡ世
u 禎子鶴
u 陽光桜
 
※    モニュメントの名前をクリックすると、それぞれのモニュメントに関する本ブログの記事が開きます。

2018年6月19日

2018年度我孫子市平和事業推進市民会議の活動が始まりました

 今年度も、我孫子市平和事業推進市民会議の活動がスタートしました。 
本市民会議は、平成20年7月施行「我孫子市平和事業推進条例」に基づいて設置されている会議で、公募市民、我孫子市内の市民団体に属する者、市内大学在学生、市内在住高校生などのメンバーが、我孫子市長からの委嘱を受けて構成しています。2018年度は14名が市長からの委嘱を受け、5月27日に第一回目の会合を行いました。

今年度も以下のような平和事業への取組みを計画しています。 

 s  8月3日~16日  原爆写真と折り鶴展(アビスタ)
 s  8月5日~7日    広島への中学生派遣
 s  8月11日(土)     平和祈念式典(手賀沼公園)
 s  12月2日(日)     派遣中学生発表会
 s  6月~2月           広島・長崎派遣中学生によるリレー講座
 s  その他、本ブログを通しての平和事業の紹介発信など   


2018年度我孫子市平和事業推進市民会議メンバー
我孫子市平和事業推進市民会議は、多くの市民の皆さんのご協力のもとに、核兵器廃絶と平和な世界の到来のための活動を進めてまいります。  

 我孫子市平和事業推進市民会議については、我孫子市HPの以下ページをご参照ください。http://www.city.abiko.chiba.jp/shisei/shingi_iinkai/shiminkatsudou/heiwajigyosuishin.html 

2018年4月10日

千葉市主催「こども・若者サミット」でリレー講座を紹介

https://drive.google.com/file/d/1kIXuFTNsiYsPg2MjXBkSMJC5i-xF2WQl/view?usp=sharing
クリックして、チラシの
両面をご覧になれます。
 3月25日(日)に開催された千葉市主催による「こども・若者サミット」で、我孫子市の広島・長崎派遣中学生OB・OGが、戦後70年以来3年間取り組んでいる【リレー講座「未来を生きる子どもたちへ」】の紹介をしました。「こども・若者サミット」は、未来を担うこども・若者が社会の一員として豊かな人間性を形成し、夢や希望に向けて成長できるまちを目指して、こども・若者の社会参画の重要性および参加自治体の「市長」と「こども・若者」の声を、全国へ発信するために、千葉市が、平成28年度から開催しているもので、今回が2回目の開催でした。 今年は、市原市、四街道市、八千代市、千葉市、そして我孫子市のこども・若者による事例発表と、5市の市長と事例発表したこども・若者たちによる座談会が行われました。 
 
 こども・若者サミット(千葉市ホームページ) 
 
 このサミットの模様から、我孫子市でリレー講座に取り組んでいる若者たち(派遣中学生OB・OG)による発表と、事例発表したこども・若者たちと5人の市長による座談会を動画で紹介させていただきます。

 【動画】事例発表:我孫子市平和リレー講座「未来を生きる子どもたちへ」
 【動画】市長とこども・若者による座談会 

 我孫子市リレー講座の事例発表は、聴いてくださった多くの方々の関心を集め、座談会でも多くの質問をいただきました。

 このサミットが、核兵器廃絶と平和への願いを伝えていく【リレー講座】がさらに飛躍していく契機になることを願います。

 

事例発表をした5市のこども・若者たち

星野我孫子市長と我孫子市の若者たち
 

2018年4月3日

戦後、パラオから引き揚げ我孫子に入植された玉根康徳さんへのインタビュー

https://drive.google.com/file/d/1c7hjC5ChCUpLew04xCeZJtTMpxuvYbk0/view?usp=sharing
玉根康徳さん、寺尾紗穂さんとインタビューに参加したメンバー
▲この写真をクリックすると、インタビュー記録(概要)をご覧に
なれます。
 第一次大戦後から1945年の敗戦まで日本の委任統治領となっていたパラオ諸島には、かつて多くの日本人が移住していましたが、戦争末期、ペリリュー島での米軍との戦いなどでは、多くの犠牲者がでています。 戦後、パラオから引き揚げて来られて我孫子市内に移り住まわれた方々がいらっしゃいました。

先日、まだ幼い頃に家族とともにパラオに移植し、戦後我孫子市市内布施に入植された玉根康徳さんに、戦時中のパラオのこと、戦後引き揚げて来られてからの我孫子でのご苦労を伺うことができました。
伺ったお話の概略をまとめましたので、ご紹介させていただきます。

なお、玉根康徳さんへのインタビューには、ご縁あって、シンガーソングライターであり、エッセイストでもある寺尾紗穂さんにご一緒していただきました。

寺尾紗穂さんは、戦前コロール島に置かれていた南洋庁に官吏として赴任していた中島敦のパラオを舞台とした小説を読んだことが契機となって、パラオ、サイパンに取材、「あのころのパラオをさがして」、「南洋と私」などの著作を上梓されています。

(我孫子市平和事業推進市民会議 恒)

【報告】3月18日被爆体験講話・リレー講座実演

 3月18日(日)、アビイホール(イトーヨーカドー我孫子南口店3階)にて、被爆者体験講話とリレー講座の実演を行いました。
この催しは、被爆者の方々からリレー講座に講師として参加している現役の中学生まで、幅広い年齢の方々にお集まりいただき、核兵器廃絶の願いと平和への想いを世代から世代へリレーしていくたいへん貴重な機会となりました。

被爆体験講話とリレー講座実演の模様を、以下の動画からぜひご覧ください。  
 

1.   被爆体験講話


https://drive.google.com/file/d/1yE1i_n52NpLi0ZNszS6NhXuXlXgGissJ/view?usp=sharing
クリックして講話の
動画をご覧ください。
・篠崎 魏(たかし)氏
20歳の時に長崎市で入市被爆。
長崎市立山里中学校で教壇に立つ傍ら、戦争や被爆体験について伝えていらっしゃいました。
平成28年に娘さん家族のいる我孫子市に転居。
我孫子市原爆被爆者の会の会員として我孫子市平和祈念式典に出席するなど平和に関する活動を続けていらっしゃいます。 

 


https://drive.google.com/file/d/1MIPEjpCrWHqbqrxDEAU2RUPvcJBame_i/view?usp=sharing
クリックして講話の
動画をご覧ください。
・戸田 幸子氏
4歳の時に広島の自宅で被爆。
柏和会(柏市原爆被爆者の会)の役員として会の活動を支え、学校訪問事業では毎年、柏市の小学校6年生に被爆体験を語り伝えていらっしゃいます。


 
 
 

 

2.   リレー講座「未来を生きる子どもたちへ」
https://drive.google.com/file/d/1GOb9WKK00gGYG8JbyqtyWBQMKzaptmhK/view?usp=sharing
クリックしてリレー講座
実演の動画をご覧ください。

我孫子市では毎年8月中学生を被爆地である広島や長崎に派遣しています。かつてこの派遣事業に参加したOB・OGたちが、市内の小学校を訪問し、平和について考える「リレー講座」に取り組んでいます。

 

 

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この日は、以上の催しが終了し一般来場者の皆さんがお帰りになったあと、歴代の派遣中学生の交流会を行ないました。
現役の中学生からすでに社会人になったOB・OGたちまで、受験などでしばらく顔をみることのできなかった顔ぶれも揃い、お互いに近況を分かち合い、リレー講座活動への参加を呼びかけ合っていました。
我孫子市派遣中学生OB・OG、頼もしい仲間たちの今後の活躍に期待したいと思います。

2018年3月10日

3月18日、被爆体験講話・リレー講座実演のご案内

https://drive.google.com/file/d/16vMFDSgAUnPLWf8tSGPG0YwbXGvjkFyG/view?usp=sharing
クリックで拡大表示
  3月18日(日)、アビイホール(イトーヨーカドー我孫子南口店3階)にて、被爆者体験講話とリレー講座の実演を行います。 

✔ 我孫子市、柏市在住の被爆者の方が、被爆の体験をお話しくださる貴重な機会です。

✔ 我孫子の若い世代が取り組んでいるリレー講座「未来を生きる子どもたちへ」を実演紹介させていただきます。

多くの方のご来場を、願っています。

■日時: 平成30年3月18日(日) 13:00~15:15
■場所 : アビイホール(アビイクオーレ3階) 
    ※ イトーヨーカドー我孫子南口店3階
■定員 : 300人 (入場無料)
■主催 : 我孫子市平和事業推進市民会議・我孫子市

広報あびこ3月1日号3面にも、お知らせ記事を掲載しています。  https://www.city.abiko.chiba.jp/shisei/kouhou/abiko/backnumber/h29backnumber/20180301.files/180301_3S.pdf

2018年1月5日

中央学院大法学部の皆さんから「平和の集い」参加の感想をいただきました

  中央学院大学(我孫子市久寺家)法学部には、広島市・長崎市から【広島・長崎講座】に認定された「平和学」という講座があります。
昨年12月3日に開催した「平和の集い」に参加してくださった「平和学」川久保教授ゼミ2年の皆さんから、「平和の集い」参加の感想を寄せていただきましたので、ご紹介させていただきます。
 

♣ 派遣中学生の話を聞いて、戦争の恐ろしさや悲惨さ、中学生たちのリアルな心情を聞いてとても重苦しい気持ちになりました。それと同時に実際に自分の目でもしっかりと見て学びたいと思いました。派遣中学生の皆さんが言っていたように、あの悲劇があってこそ今の日本があり、私たちがいます。世界で唯一原子爆弾が使用された国として、世界平和を願う気持ちは強く大きく存在していることと思うし、私自身でそう感じました。平和の集いを通じて、知っておかなくてはならないことを聞くことが出来て良かったです。(倉沢茉柚さん) 

♣ 我孫子市が毎年中学生を広島、長崎に派遣していることを知りませんでしたが、今回平和の集いに参加して、中学の時に被爆地に赴くことの重要性を感じました。中学生の時の純粋な気持ちで原爆の事を学び、感じる事で原爆の悲惨さや被爆者の気持ちをダイレクトに受け止められるのではないかと思います。私は1度も広島、長崎に行ったことがないので、今回の報告を聞いて、原爆の与える影響や被爆の恐ろしさをより詳しく鮮明に知ることができ、勉強になりました。中学生の皆さんが感じたものを、私も実際に現地に赴いて、見て、感じなければならないというように感じました。(篠原真緒さん) 

♣ 原爆の被害に遭い何もかもなくなってしまったにも関わらず、原爆の3日後には電車が通り、生活を立て直そうとした当時の人々は凄いなと思いました。
平和の集いは戦争を経験していない人たちには過去を知ることの出来る良い機会だと思います。過去なんて知りたくない、どうでもいいではなく私たちは過去を知り繰り返さないようにしていく役目がある。朝起きて、三食食べて、学校に行き、友達と話してというのが当たり前のことではないのだと改めて思い毎日を大切に生きようと思いました。
現代はまだ平和とは言えない。世界に目を向けると戦争や紛争に苦しんでいる人々がいる。自分だけが楽しく生きて行ければ良いではなく、支えていくことができたら、争いで亡くなる人がいなくなればと思います。(安蒜菜々子さん) 

♣ 今回の平和の集いに参加して自分が感じたことは、戦争の体験を後世に伝えて行くことの大切さや難しさです。戦争を経験している世代の人が高齢者になり、後世に伝えて行くのが難しい、さらに今戦争というものが北朝鮮の問題などにより数年前よりリアルに感じる。戦争というものは近くに来ているのに、悲惨さを伝えることは難しくなってきているのだと今回の平和の集いに参加して感じることができました。(初山友一さん) 

♣ 私は今回、この平和の集いに参加して、中学生の方々の話を聞き、また演劇を観て戦争というものがどれだけ悲惨で恐ろしいことかということについて改めて考えさせられました。私は広島には一度も行ったことがありませんが、中学生の方々の派遣報告を聞き、広島に行き自分の目で戦争がどれほどのことだったのか知る必要があると思いました。
戦争がこの日本で起きたということは絶対に忘れてはいけないし、このようなことが起きたということを次の世代に伝えていかなければならないと思いました。これからもこの平和の集いを続け、多くの人たちに伝えて欲しいと思いました。今回平和の集いに参加してよかったです。(村上美唯奈さん) 

♣ 私はこれまで平和といえば高校時代に習った戦争のことが真っ先に浮かび、特攻隊やひめゆり学徒隊などある意味有名な出来事しか知りませんでした。しかし今回演劇や広島に行った中学生からの報告を聞いたことで有名なこと以外に個人個人で様々なドラマがあることを再認識することが出来ました。いま私たちは「平和」といえる世の中に暮らしていると思います、しかしどこか一つボタンの掛け違いが起こるだけで一気に平和ではなくなります。この「平和」な状況に暮らす私たちは改めて平和の尊さを胸に刻み込むとともにこの「平和」という財産を次の世代に受け継いでいく責任を感じました。(山口瑞生さん) 

※  中央学院大学法学部「平和学」の「広島・長崎講座」認定については、以下のサイトをご覧ください。

2017年12月15日

ノーベル平和賞 サーロー節子さんスピーチ

  核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)へのノーベル平和賞授賞式が、12月10日にノルウェーのオスロ市庁舎で行われました。団体を代表して登壇した被爆者サーロー節子さんによるスピーチの全文(英文)を、以下に掲載します 

サーロー節子さんはこのスピーチ原稿を、何度も何度も推敲して作られたそうです。私たちも、スピーチの訴えをしっかりと受け止めたいと思います。 

※   演説文和訳については、以下サイトなどでご覧になれます。


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■サーロー節子さんスピーチ 

Your Majesties,
Distinguished members of the Norwegian Nobel Committee,
My fellow campaigners, here and throughout the world,
Ladies and gentlemen, 

It is a great privilege to accept this award, together with Beatrice, on behalf of all the remarkable human beings who form the ICAN movement. You each give me such tremendous hope that we can - and will - bring the era of nuclear weapons to an end. 

I speak as a member of the family of hibakusha - those of us who, by some miraculous chance, survived the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki. For more than seven decades, we have worked for the total abolition of nuclear weapons. 

We have stood in solidarity with those harmed by the production and testing of these horrific weapons around the world. People from places with long-forgotten names, like Moruroa, Ekker, Semipalatinsk, Maralinga, Bikini. People whose lands and seas were irradiated, whose bodies were experimented upon, whose cultures were forever disrupted. 

We were not content to be victims. We refused to wait for an immediate fiery end or the slow poisoning of our world. We refused to sit idly in terror as the so-called great powers took us past nuclear dusk and brought us recklessly close to nuclear midnight. We rose up. We shared our stories of survival. We said: humanity and nuclear weapons cannot coexist. 

Today, I want you to feel in this hall the presence of all those who perished in Hiroshima and Nagasaki. I want you to feel, above and around us, a great cloud of a quarter million souls. Each person had a name. Each person was loved by someone. Let us ensure that their deaths were not in vain. 

I was just 13 years old when the United States dropped the first atomic bomb, on my city Hiroshima. I still vividly remember that morning. At 8:15, I saw a blinding bluish-white flash from the window. I remember having the sensation of floating in the air.  

As I regained consciousness in the silence and darkness, I found myself pinned by the collapsed building. I began to hear my classmates' faint cries: "Mother, help me. God, help me." 

Then, suddenly, I felt hands touching my left shoulder, and heard a man saying: "Don't give up! Keep pushing! I am trying to free you. See the light coming through that opening? Crawl towards it as quickly as you can." As I crawled out, the ruins were on fire. Most of my classmates in that building were burned to death alive. I saw all around me utter, unimaginable devastation. 

Processions of ghostly figures shuffled by. Grotesquely wounded people, they were bleeding, burnt, blackened and swollen. Parts of their bodies were missing. Flesh and skin hung from their bones. Some with their eyeballs hanging in their hands. Some with their bellies burst open, their intestines hanging out. The foul stench of burnt human flesh filled the air. 

Thus, with one bomb my beloved city was obliterated. Most of its residents were civilians who were incinerated, vaporized, carbonized - among them, members of my own family and 351 of my schoolmates. 

In the weeks, months and years that followed, many thousands more would die, often in random and mysterious ways, from the delayed effects of radiation. Still to this day, radiation is killing survivors. 

Whenever I remember Hiroshima, the first image that comes to mind is of my four-year-old nephew, Eiji - his little body transformed into an unrecognizable melted chunk of flesh. He kept begging for water in a faint voice until his death released him from agony. 

To me, he came to represent all the innocent children of the world, threatened as they are at this very moment by nuclear weapons. Every second of every day, nuclear weapons endanger everyone we love and everything we hold dear. We must not tolerate this insanity any longer. 

Through our agony and the sheer struggle to survive - and to rebuild our lives from the ashes - we hibakusha became convinced that we must warn the world about these apocalyptic weapons. Time and again, we shared our testimonies. 

But still some refused to see Hiroshima and Nagasaki as atrocities - as war crimes. They accepted the propaganda that these were "good bombs" that had ended a "just war". It was this myth that led to the disastrous nuclear arms race - a race that continues to this day. 

Nine nations still threaten to incinerate entire cities, to destroy life on earth, to make our beautiful world uninhabitable for future generations. The development of nuclear weapons signifies not a country's elevation to greatness, but its descent to the darkest depths of depravity. These weapons are not a necessary evil; they are the ultimate evil. 

On the seventh of July this year, I was overwhelmed with joy when a great majority of the world's nations voted to adopt the Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons. Having witnessed humanity at its worst, I witnessed, that day, humanity at its best. We hibakusha had been waiting for the ban for seventy-two years. Let this be the beginning of the end of nuclear weapons. 

All responsible leaders will sign this treaty. And history will judge harshly those who reject it. No longer shall their abstract theories mask the genocidal reality of their practices. No longer shall "deterrence" be viewed as anything but a deterrent to disarmament. No longer shall we live under a mushroom cloud of fear. 

To the officials of nuclear-armed nations - and to their accomplices under the so-called "nuclear umbrella" - I say this: Listen to our testimony. Heed our warning. And know that your actions are consequential. You are each an integral part of a system of violence that is endangering humankind. Let us all be alert to the banality of evil. 

To every president and prime minister of every nation of the world, I beseech you: Join this treaty; forever eradicate the threat of nuclear annihilation. 

When I was a 13-year-old girl, trapped in the smouldering rubble, I kept pushing. I kept moving toward the light. And I survived. Our light now is the ban treaty. To all in this hall and all listening around the world, I repeat those words that I heard called to me in the ruins of Hiroshima: "Don't give up! Keep pushing! See the light? Crawl towards it."  

Tonight, as we march through the streets of Oslo with torches aflame, let us follow each other out of the dark night of nuclear terror. No matter what obstacles we face, we will keep moving and keep pushing and keep sharing this light with others. This is our passion and commitment for our one precious world to survive.