2024年12月24日

中学生広島派遣報告(その2)

本日は2024年 市内中学生の平和学習の様子を、引率者の目線でご報告いたします。

今年は参加中学生の人数も多いため、引率者も3人に増員しました。それぞれの目線で3回の更新を行います。

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我孫子市平和事業推進市民会議委員の根本茜梨です。今年度は8月5日から8月7日にかけて市内16名の中学生が広島へ派遣されました。私自身、平成30年度に派遣中学生として広島を訪れて以来2度目の広島で、今回は引率者として同行させていただきました。本ブログでは、その3日間の様子をご報告させていただきます。


1日目(8月5日)

朝早くから行われた出発式では団長が決意表明をし、星野市長からもお言葉をいただきました。市役所や市民会議の方、学校の先生など大勢に見送られ我孫子を出発しました。


朝の電車は出勤の方も多く、班ごとに電車に乗り込み新幹線が出ている東京駅へと向かいます。少し緊張しながらも、質問しあったり声をかけ合う様子が見られました。


新幹線に乗るとだんだんと雰囲気が和み始め、クイズを出し合ったりカードゲームをしたりと仲を深めていました。また、2日目に行われる平和記念公園の来場者に向けたインタビューの質問項目を話し合い、意見を出し合っていました。


広島へ着くと、我孫子とは違う暑さが感じられました。旅の最初の目的地は平和記念公園。中学生は初めて見る路面電車に目を輝かせていました。原爆の恐ろしさを伝えていくシンボルである原爆ドームを目の前に、79年前のあの日、ここで何があったのかを改めて感じ、じっと見つめる中学生の姿がありました。その後、爆心地である島病院を訪れると、ガイドの方が特別にお話を聞かせてくださり、原子爆弾の詳細を教えていただきました。また、原爆死没者慰霊碑に向けて手を合わせました。


次に被爆体験講話として、佐渡さんという7歳で被爆された方からお話を聞かせていただく機会がありました。佐渡さんは妹さんと外遊びをしていた際に被爆し、原爆で御家族を亡くされました。辛い経験をされた中でも、原爆が投下されたという事実を語り継ぐために100歳まで頑張っていくと仰っていました。中学生は被爆者の方の貴重なお話に耳を傾け、真剣に向き合っていました。戦争体験者が減っていっている中で、直接お話を聞く機会は多くありません。

この経験を大事に、今後に活かして欲しいなと思いました。また、佐渡さんが最後に教えてくださった平和の原点は「心と心の触れ合い」です。自分の心も相手の心も大切に生きていくことの重要性を、改めて感じられました。


1日目の反省会では、初めて現地を訪れて感じた、メディアを通して見るのとは違う新たな感情を教えてくれました。


2日目(8月6日)

2日目は平和記念式典に参列することから始まりました。各国から大勢の人々が集まり、戦争で苦しまれた全ての人々へ黙祷を捧げ、平和への誓いが述べられました。 式典後は、佐々木禎子さんがモデルになった原爆の子の像へ行き、千羽鶴を奉納し、平和記念公園を訪れていた方へインタビューを行いました。実際に戦争を体験された方や戦争を知らない若い世代、また外国の方にも英語を使ってインタビューをし、様々な年代の声を聞くことが出来ました。


次に平和記念資料館を見学しました。実際に被爆した物や、当時の写真、亡くなった方の遺品の前を動かずじっと見つめる姿勢が印象的でした。訪れた方が自由に気持ちや感想を共有できるノートには、「自分の大切な人に今すぐ会いたい。」という言葉が記されており、当時の人の気持ちを思うとなんとも言えない感情になりました。


その後はおりづるタワーへ行き、折り鶴を折っておりづるの壁へ投下しました。そして、広島城では日本の歴史に触れ、最上階から広島の街を見下ろすことが出来ました。


2日目の反省会では、1日目の反省点を活かし積極的に発言する様子が見られました。「戦争がないことが平和だと思っていたけれど、インタビューを通して、平和だと思うことは人それぞれ違うということに気づいた。」「私たちの当たり前の日常は当たり前じゃなかった。」と、自分たちなりに見つけ出した答えを共有し合っており、内容の濃い話し合いが行われていました。


3日目(8月7日)

3日目は多聞院を訪れました。多聞院の鐘楼は爆心地から最も近い木造建築として大切に保管されています。住職さんから当時の様子や、なぜ毎日鐘を鳴らしているのかというお話を聞き、中学生も平和への思いを込めて鐘を鳴らさせていただきました。

鐘にはローマ字で「NO MORE HIROSHIMA」という文字が記されており、この事実を忘れないため、忘れさせないために、派遣中学生としてできることを考えて行かなければいけないと強く感じました。



次に2日目に続いて平和記念資料館をもう一度見学し、本旅の最終目的地である本川小学校へと向かいました。本川小学校ではガイドの方が詳しく説明して下さり、3日間を通して得た知識を元にガイドさんの問いかけに答えたり、気になることを質問する様子が見られました。自分たちよりも幼い子どもたちがどのように被爆し、どのように復興に向けて立ち上がっていったのか。そして、その当時復興に向けて頑張ってくれた人がいるから今の私たちの生活があるということを感じてくれたのではと思います。


3日間の派遣に同行させていただき、派遣中学生はもちろん、私自身も学びが深まる3日間を過ごすことが出来ました。実際にその地を訪れることで、平和に対する考えや、派遣中学生としてこれから自分たちに何ができるのか、また、今自分たちがどれだけ平和に暮らすことができているのかを感じてもらうことができたのではないかと思います。当時14歳だった私が、派遣に行ったことで平和への意識が変わり、次世代に繋いでいきたいと思ったように、今年度の中学生にも派遣に行く前とは違う、何か新しい感情が芽生えてくれていれば嬉しいです。本年も派遣事業を行うにあたり、ご尽力してくださった全ての方々に感謝申し上げ、派遣の報告とさせていただきます。


平和事業推進市民会議 根本茜梨

2024年12月21日

中学生広島派遣報告(その1)

本日は2024年 市内中学生の平和学習の様子を、引率者の目線でご報告いたします。

今年は参加中学生の人数も多いため、引率者も3人に増員しました。それぞれの目線で3回の更新を行います。

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 我孫子市平和事業推進市民会議委員の高須万悠香です。私は平成29年度に広島派遣中学生として派遣に参加したことがきっかけで我孫子市の平和事業に携わるようになりました。そして今回、令和6年度広島派遣中学生に随行いたしましたので、3日間の様子をレポートしたいと思います。


1日目は、出発式のあと、広島への移動から始まります。最初は緊張していた様子の派遣中学生も、新幹線での時間を通して、打ち解け、仲が良くなったようで安心しました。


広島につくと、まずは平和公園の見学です。まだ戦争やその被害について具体的なことは教わらないまま、初めて、実際に原爆ドームを見る派遣中学生たち。事前に学習してきた内容と照らし合わせて、原爆の仕組みについて考察するなど、「なにかを学ばなくてはいけない」という彼らの使命感を感じる時間でした。




続いて、被爆体験講話を聴講しました。実際に被爆された方のお話を聞くのは、とても貴重な体験です。派遣中学生にとっては、初めて知ることもたくさんあったと思いますが、熱心に話を聞き、メモをとっていました。当時、やけどでとても熱いのに、お水が飲めなかったこと。生きているのか死んでいるのかわからない人を全て火葬していたこと。知識ではなく、実際に1人の人が経験した体験を聞いたことで、中学生の目の色が変わったのを感じました。


2日目は、まず、平和記念式典に出席しました。派遣中学生は、海外からもたくさんの人が来ていたことに驚いたそうです。そこで、グループに分かれてのインタビューでは、海外から広島を訪れた方にもお話を聞きました。初めて会った人に話しかけることも大変なことですし、英語で話しかけるとなればもっと緊張したと思いますが、様々な人の平和への想いを聞きたいという気持ちで、頑張っていました。


その後、平和記念資料館1回目の見学を行いました。派遣中学生は、前日に聞いた被爆体験と資料を照らし合わせたり、手紙や絵をじっくり見たり、それぞれに興味があることについて考えを深めているようでした。



平和記念資料館見学のあとは、おりづるタワーと広島城の見学をしました。このふたつの場所からは、復興した現在の、素敵な広島の風景を眺めることができます。同時に、ここから見えるほとんどの場所が焼けてしまった悲惨な過去についても考える時間でした。平和の願いを込めて、「おりづるの壁」へおりづるの投入も行いました。



2日目のおわりに、派遣中学生は「平和とはなにか」というテーマで話し合いを行いました。様々な人からお話を聞いて、資料を見て、平和とはひとつの答えがあるものではなく、育った環境やその人にとっての日常によって変わるものだと考えるようになった派遣中学生。だからこそみんなと話し合ってみたいと、自分たちでテーマに設定しました。「戦争がないこと」「おびえないで生きられること」「自分らしく生きられること」「当たり前が当たり前にあること」「大切な人が急にいなくならないこと」「助け合って笑顔でいられること」など、様々な意見がでました。1日目は少し遠慮がちに話していた中学生ですが、2日目はひとりひとりが自分の意見を伝えることができました。


3日目はまず、多聞院を見学しました。見学した日と同じようにお天気の良い朝、人々が今日を始める準備をしている時間に、爆弾が落とされ、町は全焼しました。そのことを考えながら、鐘を鳴らし、町を眺め、様々なことを感じました。


次は、2回目の記念資料館の見学です。自分の知りたいことが分かるように、それぞれがじっくりと資料を見ていました。


広島で最後の見学は、本川小学校平和資料館です。実際に被爆した校舎のなかで当時の子ども達に関するお話を聞きました。


派遣中学生は3日間を通して、目を背けたくなるような事実にも真摯に向き合い、たくさんのことを学び、考えてくれました。そして私自身も、たくさんのことを学ぶことができました。


改めて、私たち派遣中学生にこのような学びの機会を与えてくださった市長・教育長・市職員の方々をはじめ、派遣事業にご協力いただいた全てのみなさまに、心から感謝を申し上げます。


みなさまが繋いでくださった縁のおかげで、私たち派遣中学生は平和事業に取り組むことができます。これから、令和6年度派遣中学生とともにリレー講座等の活動をすることがとても楽しみです。


平和事業推進市民会議 高須万悠香

2024年9月17日

とうろうに平和の願いを込めて

 8月10日(土)に、「とうろうに平和の願いを込めて」を開催しました。今回が初めてとなるイベントです。


じゃぶじゃぶ池に灯籠を浮かべる前に、灯籠に記す平和への想いを考えるため、リレー講座特別版を行いました。

リレー講座は普段、市内の小学6年生に向けて、歴代の派遣中学生が派遣で学んだことを伝える授業として行っています。

今回は、イベントに参加してくださったみなさんの学年に合わせて、より具体的で分かりやすい内容を心がけました。


まず、講師を務める私たち派遣中学生や、戦争について説明をし、戦争や原子爆弾について、クイズを通して知識を確認しました。クイズでは、元気に手を挙げて答えてくれたのがとても嬉しかったです。

クイズの様子


次に、過去に手賀沼で行った灯籠流しで、歴代の派遣中学生が灯籠に書いた内容を紹介することで、平和ってどんなこと?という具体的な例をお伝えしました。

そして、これを踏まえて、「平和のために今日から自分ができること」という、普段のリレー講座でも必ず考えてもらっているテーマでグループワークを行いました。

広島から帰ってきたばかりの令和6年度派遣中学生が、グループワークを率先してリードしてくれました。

話し合った内容の発表では、様々な意見を聞くことができ、とても学びの深い時間になりました。


グループワークの様子

最後に、令和6年度派遣中学生を代表して2人から感想を話してもらい、講師3人からもメッセージを伝えました。

リレー講座の様子

その後リレー講座の内容をふまえて、灯籠作製にうつりました。カラフルでとても素敵な想いのこもった灯籠を作ってくれました。


そして、ついに灯籠をじゃぶじゃぶ池に浮かべる時。

灯籠が浮かんだじゃぶじゃぶ池の風景はとても美しく、感動しました。

子ども達は浮かべた灯籠を回収して、何度も流し直すなど、とても楽しそうでした。

灯篭流しの様子


私は今回のイベントを通して、改めて平和について考えることの重要性を感じました。

大切な人たちが近くにいて、子ども達が楽しそうに灯籠を浮かべている情景。みんなが輪になって、平和の願いをこめた灯籠を見ている情景。

まさに「平和」を体現しているのではないかと思いました。



この光景が、来年も、再来年も、その先もずっと続いていくような世界であってほしいですし、そのために今後も平和事業を頑張っていきたいと改めて感じました。





2024年9月13日

我孫子市平和祈念式典

 8月10日(土)、平和記念碑はじめさまざまな平和のシンボルのある手賀沼公園隣接のアビスタ内ホールで「被爆79周年平和祈念式典」が行われました。

本年も暑さ対策のため式典は屋内開催でした。


開式後、星野順一郎市長を初めとする来賓の方々から式辞をいただき、栗原貞子さんが書いた詩「生ましめん哉」が読み上げられました。

また、戦争で苦しまれた方々に黙祷を捧げました。

星野市長による式辞


そして、8月5日~7日にかけて行われた広島派遣に参加した市内の中学生16名の紹介と、派遣の報告がありました。

団長の島  衣伶奈さんは、

「目を逸らしたくなるようなこともあったけれど、しっかりと受け止めなければならない。私たちが考えたこと、感じたことを伝えたい。今を大切に生きたい。」

と3日間を通して学んだことを報告してくれました。

式典に参加する派遣中学生
団長による派遣報告


式典後は、手賀沼公園内にある記念碑に献花を行いました。


平和の記念碑への喧嘩

派遣中学生たちは、12月1日(日) けやきプラザふれあいホールで開催される【平和の集い】において、広島での体験を報告してくれます。

12月のけやきプラザで多くの市民の皆さんと集えることを期待しています。


2024年9月11日

令和6年度 中学生派遣事業 事前説明会

 我孫子市では、2005年(戦後60年)から、平和事業の一環として、毎年8月に、広島または長崎に、市内の中学生を代表団として派遣しています。

今年度は、我孫子市から16名の中学生が広島に派遣されました。今年度の派遣日程は、8月5日(月)から7日(水)までの3日間です。


8月の派遣に向けて、7月22日(月)、広島に派遣される中学生が我孫子市役所に集合し、事前説明会を行いました。

事前説明会では、派遣中学生の自己紹介や派遣日程の確認を行った後、派遣に同行される星野我孫子市長、丸教育長との意見交換の時間がありました。

中学生は、派遣に向けた決意を一人ひとりが表明し、市長、教育長からは派遣の意義や注意事項についてお話しいただきました。

集合写真

その後、派遣中学生OB・OGから体験談やアドバイスを聞きました。

実際に派遣を経験したOB・OGならではの具体的なアドバイスに対して、中学生は熱心に耳を傾けていました。

派遣中学生OB・OGから現地の様子を知ることで3日間のイメージがより具体的になったようでした。

派遣中学生OGによる説明


派遣中学生OB・OGによる説明

派遣中学生OB・OGからのアドバイスに続いて、我孫子市平和事業推進市民会議委員の山田典子さんからお話を伺いました。

山田典子さんは被爆2世として原爆による広島の悲惨な状況をお話してくださいました。

ほとんどの派遣中学生にとって、被爆2世の方から直接お話を聴くのは初めての経験だったのではないでしょうか。皆、真剣な面持ちでお話を聞いていました。

山田さんによる写真

この事前説明会では、例年、派遣団の団長・副団長を中学生の中から選出します。

団長・副団長ともに立候補者がいたため、スムーズに進行することができ、その姿から中学生たちの積極性が感じられました。


広島派遣中学生たちによる派遣報告会は12月1日(日)にけやきプラザふれあいホールで開催されます。派遣報告会に、ご期待ください。

2024年7月20日

2024年度我孫子市平和事業推進市民会議始動

 ~2024年度我孫子市平和事業推進市民会議始動~


6月16日(日)に本年度の第1回平和事業推進市民会議が行われました。

2年間の任期の折り返しの為ほとんどの委員は昨年からの引き続きとなりますが、新任1名の委嘱を行い新たな15名体制でスタートしました。

会議では本年度は8月に市民会議単独で事業を行う内容やタイトルについて、老若男女問わず白熱した議論が交わされ無事に内容とタイトルは決定しました。

【とうろうに平和の願いを込めて】

詳細は我孫子市ホームページをご覧ください。

https://www.city.abiko.chiba.jp/shisei/heiwakokusaika/heiwajigyou/pease_toro.html

本年度は以下のような平和事業を計画しています。


8月5日(月)~7日(水)広島被爆地派遣事業

8月8日(木)~22日(木)企画展示【平和事業パネル展・平和祈念の折り鶴展】

          場所:アビスタ1階 ストリート

8月10日(土)市民会議主催事業【とうろうに平和の願いを込めて】

      場所:手賀沼親水広場 水の館3階研修室・じゃぶじゃぶ池

11月20日(水)~12月1日(日)平和の集い~我孫子から平和を願う~展

             場所:けやきプラザギャラリー1・2

11月20日(水)~12月8日(日)平和の集い~我孫子から平和を願う~展

             場所:アビシルベ

12月1日(日)平和の集い~我孫子から平和を願う~(派遣中学生発表会)

      場所:けやきプラザホール

6月~2025年1月広島・長崎派遣中学生リレー講座[未来を生きる子どもたちへ]

        市内全小学校にて実施


本ブログを通して、我孫子市の平和事業及び市民会議の様子のご報告も継続してまいります。

また、今回の第1回会議終了後に、視察研修を実施しました。

視察に関する報告を委員からいただきましたので、以下のとおり報告いたします。

委員ら集合写真


~「第五福竜丸展示館」視察研修の報告~

6月16日午前中に今年度1回目の会議があり解散後に改めて新木場駅に集合。視察研修場所は夢の島公園にある「第五福竜丸展示館」。

市民会議の事業「被爆地派遣事業」「平和リレー講座」そして「平和の集い」では、ヒロシマ・ナガサキの被ばくを通して平和を考えることが大きなテーマになっています。しかし、戦後も原水爆実験により「被ばく」して命を落とすという惨事があったことを正しく「知る」研修でした。

夢の島公園の海寄りの木立の中に鋭角の三角形をした建物がありました。館内に一歩踏み入ると赤い骨組みの中に立つ第五福竜丸の大きな姿に圧倒されました。入館後、ボランティアガイドから20分余りの説明を受けました。

説明を聞く委員ら


「第五福竜丸」は1954年に建造され、マグロ漁船としで遠洋漁業中に太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁で、アメリカが行った「ブラボー」と名付けられた水爆実験によって被ばくしました。

爆発時に海面から上がったキノコ雲が日の出の輝きのように見えたが、西の方角なのでおかしいなと思った。また珊瑚礁での実験だったので砂粒のようになった珊瑚が放射能と一緒に降り注ぎ、船の甲板は雪が積もったようだった。

乗組員23人はそれが「死の灰」と言われるどんなに恐ろしいものかも知らず作業を続け、3日後には顔は黒色をおびてきて、数日後には髪の毛を引っぱるとごっそりと抜けたそうです。

日本に戻り「被ばく」していたことが分かった船員達は入院し治療を受け、獲ってきたマグロなどは「汚染魚」として築地市場に埋められたそうです。

半年後には無線長の久保山愛吉さんが亡くなりました。被害を受けたのは第五福竜丸だけではなく多くの船舶やマーシャル諸島の人々もいました。

小瓶に入った「死の灰」が展示されていました。それを目にして、子どものころに「雨に濡れては駄目、放射能の死の灰の雨だから・・・」と言われていたのを思い出しました。その後も途切れることなく世界各地で核実験は続いています。2021年3月1日、この「ビキニ事件」を語り続けた乗組員の大石又七さんが亡くなりました。

第五福竜丸は被ばくして日本に帰ってからは水産大学の練習船「はやぶさ」として活用された後、1967年に廃船処分になりゴミの廃棄場所「夢の島」に捨てられるという運命をたどりました。外されたエンジンは海を望む館の外に展示されています。

様々な展示や被曝し傷ついても今もここに立つ第五福竜丸から我々が何を学ばなければならないかを力強く訴えられました。

「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」という久保山愛吉さんの願いが刻まれた石碑がありました。

また、お父さんの看病をしていた久保山さんの長女が書いた「こんなことになるとは、みんなあのすいばくじっけんのためです。あのじっけんさえなかったらこんなことにはならなかったのに、こんなおそろしいすいばくはもうつかわないことにきめてください。」という願いに私達は何と応えれば良いのでしょうか。

視察した委員各々が「平和」について改めて考え、これからの活動に活かすべきことを強く胸に刻んだ研修になりました。

展示をみる様子

我孫子市平和事業推進市民会議は世界の恒久平和を願う市民の協力と参加のもとに平和事業を推進してまいります。

我孫子市平和事業推進市民会議については、我孫子市ホームページをご参照ください。

https://www.city.abiko.chiba.jp/shisei/shingi_iinkai/shiminkatsudou/heiwajigyosuishin.html